核拡散防止条約
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加盟国であるイラクは国際社会より核開発疑惑を受け、1991年に起きた湾岸戦争に敗北し、核を含む大量破壊兵器の廃棄と将来に渡っても開発しないことなどを条件に和平する国連安保理決議687を受け入れた。しかし核開発計画の存在が明らかになった他、生物・化学兵器の廃棄が確認できない等の問題がある[9]。詳細は「イラク武装解除問題」および「イラク戦争」を参照

またNPTに1970年より加盟しているイランも核兵器を開発しているとみられている。詳細は「イランの核開発問題」を参照
未加盟国

未加盟国はインドパキスタンイスラエル南スーダンの4か国である。なおインドとパキスタンは条約が制定時の5か国の核保有国にのみ保有の特権を認め、それ以外の国々には保有を禁止する不平等条約であると主張し、批准を拒否している。

イスラエル政府は核兵器の保有を肯定も否定もせず、疑惑への指摘に沈黙を続けている。2010年9月3日にIAEA事務局長の天野之弥が、条約に加盟し全ての核施設についてIAEAの査察を受けるようイスラエルに対し求めたことを報告書で明らかにした。イスラエルはこの要請を拒否している。詳細は「インドの核実験」、「パキスタンの核実験 (1998年)」、および「イスラエルの大量破壊兵器」を参照

南スーダンは2011年に建国されたばかりの新国家で体制が整っていない。
脱退国

北朝鮮は加盟国(特にアメリカ)とIAEAからの核開発疑惑の指摘と査察要求に反発して1993年3月12日に脱退を表明し[10]、翌1994年にIAEAからの脱退を表明したことで国連安保理が北朝鮮への制裁を検討する事態となった。その後、北朝鮮がNPTにとどまることで米朝が合意し、日米韓3か国の署名によりKEDOが発足した。しかし北朝鮮が協定を履行しなかったためKEDOが重油供与を停止。これに対し北朝鮮は2003年1月、再度NPT脱退を表明した[11]。詳細は「北朝鮮の核実験 (2006年)」、「北朝鮮の核実験 (2009年)」、および「北朝鮮核問題」を参照
核軍縮交渉義務詳細は「核兵器#核兵器削減への取り組み」を参照

第6条は締約国に「誠実に核軍縮交渉を行う」ことを義務付けている。しかし、締約国のうち5か国の核保有国の核軍縮交渉や実行・実績は1987年に締結され、その後2019年2月にアメリカによって破棄され失効したINF(1991年に廃棄完了を確認)、1991年に締結されたSTART I(2001年に廃棄完了を確認)に限定され、現在に至るまで核兵器の全廃は実現していない。

核保有国の目的はコスト削減と核保有の寡占の固定永続化が目的であることから、核兵器の数量削減や、核実験をコンピューターシミュレーションに置き換えることを進めている。

「リーチング・クリティカル・ウィル」のレイ・アチソン代表は、核兵器の近代化や投資を終わらせる第6条の義務に反し、全核保有国が自国の核兵器及び関連施設を今後数十年で近代化する計画に着手するか、あるいはそうした計画を持っていると主張。また核拡散を抑制しようとする一方で、自らの核兵器は強化しようとする核保有国の姿勢はダブルスタンダードであり、「核兵器なき世界」を追求するという約束が裏切られている、と述べた[12]

また村田良平(1930 - 2010元外務事務次官)も「不平等条約である」と主張している[13]

2014年4月にマーシャル諸島共和国は、核拡散防止条約に違反しているとして9か国の核保有国を国際司法裁判所に提訴した[14]。加盟する5か国(アメリカ・フランス・イギリス・中国・ロシア)は核軍縮交渉の義務を履行しておらず、加盟していない3か国(インド・パキスタン・イスラエル)と条約脱退を表明した北朝鮮についても、慣習的な国際法により同じ義務があるべきところ、それを果たしていないというのがマーシャル諸島の主張である[15]。6月には、国際司法裁判所の強制管轄を受け入れているイギリスとインドについて、審理に入ることが決まった[16]
日本

日本1970年2月にNPTを署名し、1976年6月に批准した。NPTを国際的な核軍縮・不拡散を実現するための最も重要な基礎であると位置付け、また、IAEA保障措置(「平和のための原子力」実現のための協定)や包括的核実験禁止条約をNPT体制を支える主要な柱としている[17]署名にあたり政府は、条約第10条が自国の利益を危うくする事態と認めた時は脱退する権利を有するとしていることに留意するとし、「条約が二十五年間わが国に核兵器を保有しないことを義務づけるものである以上,この間日米安全保障条約が存続することがわが国の条約加入の前提」「日米安全保障条約が廃棄されるなどわが国の安全が危うくなつた場合には条約第十条により脱退し得ることは当然」との声明を発表していた[18]

なお、NPTを批准するまでの過程には様々な葛藤があり、1974年11月20日に通商産業大臣中曽根康弘(当時)は来日中のアメリカ国務長官ヘンリー・キッシンジャーに対し、アメリカとソ連の自制に関連して「米ソは非核国に核兵器を使ったり、核兵器で脅迫したりしないと確約できますか」と問うと[19]、キッシンジャーは、「ソ連は欧州の国々を上回る兵力を、中国も隣国を上回る兵力を持っている。核兵器がなければ、ソ連は通常兵力で欧州を蹂躙できます。中国も同様です」という見解を示しながら、もしもアメリカが非核国への核使用を放棄すれば、ソ連の東欧の同盟国にも使用できなくなるとの懸念を示して、中曽根の要求を拒否した[19][注釈 3]

2009年5月5日国連本部ビルで開かれたNPT再検討会議の準備委員会に広島市長の秋葉忠利と長崎市長の田上富久が出席。秋葉は2020年までの核兵器廃絶を強く訴え、各国政府が核兵器廃絶への行動を直ちに起こすよう呼びかけた[20]。また田上は、アメリカ大統領のバラク・オバマが提唱した世界核安全サミットを長崎で開くよう要請した[21](しかしこの願いは果たされなかった)。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ この5か国は国連安保理の常任理事国である
^ 1967年1月1日以降に核兵器を保有するようになったということ
^ この会談の内容は、2008年(平成20年)に早稲田大学客員教授・春名幹男フォード大統領図書館で確認した記録に残されている[19]

出典^ 1976年(昭和51年)6月8日外務省告示第112号「核兵器の不拡散に関する条約の日本国による批准に関する件」
^ a b c d e 核兵器不拡散条約(NPT)の概要外務省 2015年6月
^ “NPT会議、最長1年延期 国連で核軍縮議論 被団協「残念」”. 朝日新聞デジタル. (2020年3月29日). https://www.asahi.com/articles/DA3S14421459.html? 
^ “NPT再検討会議、22年8月の開催検討 4度目の延期”. 日本経済新聞 (2021年12月31日). 2022年1月29日閲覧。


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