当時松竹では、栗島と岩田祐吉のスターコンビで人気を呼んでいた。このコンビは劇中では恋人同士であり、夫婦でもあるが、実はみな独身であるというとファンに思わせたところに松竹の売り方のうまさがあった。稲垣浩も栗島のファンで、まるで恋人でもあるかのようにスクリーンに魅入られたという。のちに栗島に話を聞くと、そのころは既に池田義信監督と結婚していて、会社はそれを営業上公然と発表しなかったのだという。栗島はこれを不満として、大正14年の週刊誌の表紙写真の取材に、丸髷姿を撮らせ、うっぷんを晴らしたという。日本髪の丸髷は「妻」を意味し、女としてはこの髪を結うことは最高の希望としたものだったのである。「人気スタアのやるせないウップン」であったとは知らず、稲垣をはじめファンたちは、その初々しい丸髷姿の栗島の姿を、わが妻のごとく胸躍らせて眺めたのだという[3]。
大島幸助『銀座フルーツパーラーのお客さん - そのサインと生涯』、文園社
代表作『受難華』(1926年)のポスター。栗島の写真と名前が確認できる。『お嬢さん』(1930年)のポスター。『流れる』(1956年)のポスター。中央の眼鏡をかけた女性が栗島。
虞美人草(1921年)
トランク(1921年)
山へ帰る(1921年)
生さぬ仲(監督池田義臣、1921年)
金色夜叉(1922年)
不如帰(1922年)
船頭小唄(1923年)
自活する女(1923年)
大地は微笑む(1925年)
受難華(1926年)
真珠夫人(1927年)
女の一生(1928年)
麗人(1930年)
お嬢さん(1930年)
街のルンペン(1931年)
椿姫(1932年)
夜ごとの夢(1933年)
二人静(1935年)
永久の愛(1935年)
淑女は何を忘れたか(1937年)
泣蟲小僧(特別出演 1938年)
流れる(特別出演 1956年)
脚注^ ここまで『週刊サンケイ臨時増刊 大殺陣 チャンバラ映画特集』(サンケイ出版)より
^ 『あゝ活動大写真 グラフ日本映画史 戦前篇』(朝日新聞社)
^ 『日本映画の若き日々』(稲垣浩、毎日新聞社刊)
参考書籍
関連項目
帝国活動写真
松竹キネマ
松竹蒲田撮影所
松竹大船撮影所
外部リンク
Sumiko Kurishima - IMDb(英語)
⇒栗島すみ子 - 日本映画データベース
水木流東京水木会 ‐「歴史と現況」の項目内に、舞踊家としての水木歌紅(紅仙)の歩みが書かれている。著者は西形節子。
ウィキメディア・コモンズには、栗島すみ子に関するカテゴリがあります。
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