栄_(名古屋市)
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また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 14]。なお、小・中学校は学校選択制度を導入しておらず、番毎で各学校に指定されている。

丁目小学校中学校高等学校
栄一丁目名古屋市立栄小学校名古屋市立前津中学校尾張学区
栄二丁目
栄三丁目
栄四丁目名古屋市立栄小学校
名古屋市立新栄小学校
名古屋市立老松小学校名古屋市立前津中学校
名古屋市立白山中学校
栄五丁目名古屋市立栄小学校
名古屋市立大須小学校
名古屋市立新栄小学校
名古屋市立老松小学校

歴史栄広小路にあった日清戦争戦没記念碑(覚王山日泰寺に移築)。

江戸時代初期、清洲越しにより尾張藩名古屋城城下町が整備された際、栄地区は城下の南東端にあたる地域であった。城下から飯田街道への出口にあたる。

徳川家康が名古屋城を築城した後、万治の大火に見舞われたが、碁盤割地域の南端に位置していた堀切筋を拡幅し、それを「広小路」と呼んだという。やがて広い道筋に人が集まり、寺が開かれ、売店や見世物小屋も軒を連ねるようになるようになった[WEB 15]

明治に入り、栄地区に県庁・学校などの官公施設や銀行・料亭などの商業施設が作られるようになった。また、広小路通沿いに路面電車が開通すると、町として大きく開け、次第に繁華街を形成するようになった。1902年には広小路通が千種方面に延伸整備されると、名古屋東部の郊外地域への交通の便も向上した。1910年、いとう呉服店(松坂屋の前身)が移転開業し、1915年には百貨店十一屋丸栄の前身)が開業した。

第二次世界大戦末期には、2年に満たない期間だけではあるが、現在の中区の北半分に栄区が設置されたことがある[WEB 16]。戦後、復興計画として久屋大通錦通の大通りを整備し、その後、そこに公園・地下鉄・地下街といった公共施設を整備することにより、栄地区は名古屋の商業の中心地として大きく発展してきた。

近年は栄公園の整備などが行われたが、名駅地区の発展が目覚しく、栄地区は名古屋の中心地としての地位はいまだ揺るがないものの、今後の活性化策が模索されている。
町名の由来

地区内の旧町名のうち、比較的知名度の高い栄町からとって「栄」とした[3]。栄町の由来は、明暦年間(1655?1658年)頃から栄村(さこむら、のちの中村区栄生町)の住民が店を出して商売をするようになったことによるという[4]
沿革
栄町

1878年(明治11年)12月28日 - 広小路片町の改称により、
名古屋区栄町が成立[1]

1889年(明治22年)10月1日 - 名古屋市成立により、同市栄町となる[1]

1908年(明治41年)4月1日 - 中区成立により、同区栄町となる[1]

1944年(昭和19年)2月11日 - 栄区成立により、同区栄町となる[1]

1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区廃止により、中区栄町となる[1]

1966年(昭和41年)3月30日 - 一部が中区栄二丁目・栄三丁目[1]および二丁目[5]にそれぞれ編入される。

1969年(昭和44年)10月21日 - 一部が栄三丁目に編入される[1]

1976年(昭和51年)1月18日 - 残部が栄三丁目・錦三丁目にそれぞれ編入され消滅[1]

栄一丁目?栄五丁目

1966年(昭和41年)3月30日 - 住居表示実施に伴い、以下の通り中区栄一?三丁目が成立[1]

一丁目 - 中区横三ツ蔵町木挽町竪三ツ蔵町天王崎町常盤町中ノ町西洲崎町東角町東洲崎町広小路通南園町南伏見町役割町の各一部


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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