柿の種
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そうしたなか、1923年(大正12年)のこと[10]、妻が金型をうっかり踏み潰して変形させてしまう[10][11]。今井は形の歪んだ金型を成形し直すことができず、そのままで使ってみたところが、歪んだ小判型をしたあられができ[10][11]、これが“柿の種子に似た形のあられ”を考案するきっかけとなった[10][11]。試行錯誤を繰り返し、商品化に漕ぎ着けたのは翌々年の1925年(大正14年)[10]。大阪のあられ作りを指南してくれた青年に敬意を払って屋号を「浪花屋」に改めた今井が「柿の種」を発売すると[10]、たちまち爆発的ヒット商品となった。「柿の種」という商品名は、とある取引先の主人の「こんな歪んだ小判型はない。形はに似ている」という一言をヒントに名付けられたものである[10]

なお、一般的な柿の品種の種よりも縦に細長い形になっているのは、新潟県名産の「大河津」という甘柿の一種の種の形に由来している[12][13]
柿ピー 柿ピー

柿の種(あられ)と剥き身のピーナッツという組み合わせ、すなわちそれが「柿ピー(かきピー)」「ピー柿(ピーかき)」「ピーピー柿(ピーピーかき)」などと通称される派生品であるが、これが生まれたきっかけについては諸説ある[4]。1つ目は帝国ホテルの酒場がサービスとしてナッツを出す際、日本らしさを出すためピーナッツに柿の種を混ぜたのが始まりというもの。1955年昭和30年)にはピーナッツが混ぜられ始めたという。2つ目は亀田製菓の直売所で創業者の妻が店番をしていた際、思い付きでピーナッツと柿の種を一緒に食べてみたのが始まりというもの[11]。3つ目は、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}1950年代日立製作所供給所の仕入れ先の問屋と店員がかさ増し目的で混ぜたところ、ヒットしたというものである[要出典]。

亀田製菓は1977年(昭和52年)に「フレッシュパック柿の種」を発売する。それまでは一度袋を開けるとピーナッツの油分の酸化が進み、味の劣化が避けられなかったが、1食分ずつ小分けに包装にすることで味を保つことが可能になり、同時にそれまでの家族全員で食べるものとして以外に個人消費や行楽時のおやつなど新たな用途が生まれた。さらに昭和から平成への転換期に起こったドライビールの販売合戦「ドライ戦争」により、ビールのおつまみとして人気を得た亀田製菓の柿の種の売り上げは3倍近くも増え、これが同社の売り上げを業界トップに押し上げたという。変わったところでは亀田製菓と東洋水産が共同開発して柿の種風味のカップ焼きそばの販売も行われている。

柿ピーの柿の種とピーナッツの配合比率(重量比)について、亀田製菓の場合、発売後数年間は8対2であった[14]。当時はピーナッツがやや高価であったため、小さめの粒を使っていた[14]。1970年代後半のうちに大粒へ換えられたが[14]、その際、比率を5対5に変更された[14]。しかし、評判が良くなかったことからすぐに改められ[14][* 6]、市場調査の結果、6対4を黄金比率として採用し、これが定番化した[14][15]

その後2019年令和元年)、10月1日から11月27日にかけて、配合比率について消費者の意見を葉書・SNSTwitterLINE)にて投票する「私、亀田を変えたいの。キャンペーン『当たり前を疑え! 国民投票』」を実施した[16]。結果は、重量比で「7対3」が首位(29.5%)となり[17]、これを元に商品テスト等の検討が行われた結果、翌2020年(令和2年)6月より6袋詰タイプを「7対3」比率に変更して販売することとなった[18]が、ピーナッツ比率を下げるコストダウン目的の出来レースとの批判の声もある。

この調査のCMには、子連れの主婦「ママツコ」(亀田製菓CMキャラクター)に扮するマツコ・デラックスを起用した[19][20][19]
Kaki no tane

海外市場の開拓は、大きな規模ではないものの、行われてきてはいる。TOMOE BRAND の柿の種

美濃屋あられ製造本舗は、第二次世界大戦終戦後(戦後)それほど経たない時期から(※つまり、時期の詳細は不明ながら)[21]神奈川県横浜市輸出商社「株式会社清水商店」を通じ[21]アメリカ合衆国ハワイ州の現地企業 TAIYO Inc.(タイヨー株式会社)への PB提供 "TOMOE BRAND(トモエ ブランド[22]) で柿の種を輸出してきた[21]ブランド名は、ロゴタイプ紋所三つ巴(みつどもえ)」が用いられているとおり、「巴(ともえ)」から来ている(■右の画像を参照)。柿の種のあられの色合いは濃く、黒に近いものが主流になっている[22]2010年(平成22年)12月31日をもって清水商店が廃業すると、2011年(平成23年)1月1日からは製造元である美濃屋あられ製造本舗がブランドを引き受けることとなった[21]。今でもハワイのABCストア空港では TOMOE BRAND で柿の種が販売されている[21]

2003年(平成15年)には、亀田製菓中国山東省青島市に子公司(子会社)を設立し、米菓の日本向け輸出を始めた[23]2005年(平成17年)には台湾系食品大手の康師傅合弁会社を設立し[23]中国本土の巨大市場に切り込もうとしたが、これも台湾系食品大手の旺旺集団(英語版)に属する中国旺旺が中国本土の米菓市場で7?8割のシェアを押さえているため[23]、流通網拡大は思うように進んでいない[23]2009年(平成21年)1月からは中国市場の開拓に乗り出し[4]日系スーパーマーケットコンビニを販路としたテスト販売を始めている[4][23]。中国オリジナルの麻辣味も開発している。

2008年(平成20年)4月、対米輸出強化を図る亀田製菓はアメリカ合衆国カリフォルニア州に現地法人 "KAMEDA USA" を発足させ、柿の種(総称)を "Kakinotane(カキノタネ)" 名義で試験販売した。


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