査読
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東邦大学に在籍していた藤井善隆は、1991年から2011年にかけて無名の学術雑誌に多くの論文を発表し、そのことによって講師から准教授へと順調に出世したものの[18]、2000年から論文で使われたデータの不自然さが指摘され、2012年に日本麻酔科学会の調査特別委員会によって「藤井が発表した論文212本のうち172本にデータ捏造の不正があった」とする調査結果を発表。藤井は大学を辞職し、日本麻酔科学会からも退会した。

ジュネーブ大学のカール・イルメンゼー(ドイツ語版)と米国ジャクソン研究所のピーター・ホッペが、1977年にハツカネズミの体細胞から細胞核移植によってクローン生物を生成することができるとした論文は、生命科学の学術雑誌として名高い『セル』に掲載された。しかし、他の実験者による再現実験では成功せず、さらに内部告発からイルメンゼーがデータを故意に操作していたとの指摘があったことから、1981年にジェネーブ大学が、イルメンゼーの一連の研究は「捏造とは断定できないものの信頼性に重大な疑問が残る」という調査結果を発表。イルメンゼーはその後、大学の職を辞することとなった。

フランス通俗科学番組の司会者をしていたイゴール・ボグダノフとグリシュカ・ボグダノフ兄弟は、1991年から2002年にかけてビッグバン宇宙論に関する論文を専門学術誌に掲載した(その中には査読制度のある専門誌もあった)。しかしボグダノフ兄弟は物理学の専門的な教育を経たわけではなく(修士課程まで応用数学専攻)、物理学者の多くが兄弟の論文の内容のでたらめぶりを批判した。結局、兄弟は全ては査読制度の弱点を暴くための悪戯だったと白状するに至った[要検証ノート](ボグダノフ事件)。

通常査読を行う科学誌がそれを行なわない場合の具体例

科学誌の編集者の個人的な判断によって、査読を経ずに発行される論文もある。

たとえば、査読に回すと査読者が論文のアイディアを周囲の人々にベラベラとしゃべってしまうだろう、アイディアの盗用がきわめて広範囲に起きてしまうだろう、と予想される場合。

ジェームズ・ワトソンフランシス・クリックが、1953年に『ネイチャー』に発表したDNAの構造についての論文は査読に回されなかった。ジョン・マドックスは、「ワトソンとクリックの論文はネイチャーによって査読されなかった。その論文は審査できなかった。その正しさは自明だった。同じ分野で仕事をしていて(ライナス・ポーリングのことか?)、あの構造を見て黙っていられる査読者なんていなかっただろう。」と言っている[19]。影響のある物理学者のウィリアム・ローレンス・ブラッグからの「出版」と書かれたカバー・レターを受け取ったときに、編集者たちはこの論文を受理した。

「1900年代初頭ころの科学誌では、証明する責任があるのは新しいアイデアの賛同者ではなくてむしろ反対者のほうだった」と指摘する論が、最近ネイチャーに掲載された[要出典]。[要検証ノート]その例が下記のものだという。

アルベルト・アインシュタイン特殊相対論光電効果を含む5本の論文が掲載された1905年の『アナーレン・デア・フィジーク』誌(: Annalen der Physik)。編集長だったマックス・プランクはこの驚異的なアイデアを出版できる素晴らしさを感じ取り、論文を発行させた。アインシュタインの論文は全く査読に送られなかった。発行の決断は編集長か、あるいは共同編集者のヴィルヘルム・ヴィーンによって独断的に決定された

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 通常2-3名程度で論文誌ごとに人数はほぼ決まっている。
^ 例えば、研究上の競争相手(competitor)など。

出典^ a b c 【焦点】福井大教授「査読偽装」か メールで質問事前共有「圧力で従わざるを得ず」/用語解説「査読」『毎日新聞』朝刊2022年6月11日2面(同日閲覧)
^ a b新英和大辞典』第6版(研究社
^広辞苑』第6版(岩波書店
^ a b c d eGetting published in Nature: the editorial process, Nature
^ a b c d e fManuscript selection
^ a b c dPNAS Submission Guidelines


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