科学誌の編集者の個人的な判断によって、査読を経ずに発行される論文もある。
たとえば、査読に回すと査読者が論文のアイディアを周囲の人々にベラベラとしゃべってしまうだろう、アイディアの盗用がきわめて広範囲に起きてしまうだろう、と予想される場合。
ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが、1953年に『ネイチャー』に発表したDNAの構造についての論文は査読に回されなかった。ジョン・マドックスは、「ワトソンとクリックの論文はネイチャーによって査読されなかった。その論文は審査できなかった。その正しさは自明だった。同じ分野で仕事をしていて(ライナス・ポーリングのことか?)、あの構造を見て黙っていられる査読者なんていなかっただろう。」と言っている[19]。影響のある物理学者のウィリアム・ローレンス・ブラッグからの「出版」と書かれたカバー・レターを受け取ったときに、編集者たちはこの論文を受理した。
「1900年代初頭ころの科学誌では、証明する責任があるのは新しいアイデアの賛同者ではなくてむしろ反対者のほうだった」と指摘する論が、最近ネイチャーに掲載された[要出典]。[要検証 – ノート]その例が下記のものだという。
アルベルト・アインシュタインの特殊相対論と光電効果を含む5本の論文が掲載された1905年の『アナーレン・デア・フィジーク』誌(独: Annalen der Physik)。編集長だったマックス・プランクはこの驚異的なアイデアを出版できる素晴らしさを感じ取り、論文を発行させた。アインシュタインの論文は全く査読に送られなかった。発行の決断は編集長か、あるいは共同編集者のヴィルヘルム・ヴィーンによって独断的に決定された
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 通常2-3名程度で論文誌ごとに人数はほぼ決まっている。
^ 例えば、研究上の競争相手(competitor)など。
出典^ a b c 【焦点】福井大教授「査読偽装」か メールで質問事前共有「圧力で従わざるを得ず」/用語解説「査読」