柴田秀勝
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意気消沈して新宿ゴールデン街を歩いていて見つけた売り店舗を購入[4][14]。1958年4月にスタンドバーを開店させ[14]、同年に俳優活動を開始する[22][12][16]。新東宝からハンサムタワーズの第二期生としてデビュー[4][23]。当時は端役ばかりであったという[12]。洋画の吹き替えもしていたという[24]。テアトル・エコーへの入団を希望するも不合格[23]。1959年頃、東宝演劇部で立ち上げた俳優養成所を受けようかとも思ったが、応募者が殺到して狭き門になっていたという[23]。1960年、テレビドラマ『熱血カクタス』で主役のカクタス役を演じる[12][24](なお、当時これを紹介した雑誌記事に芸名を「柴田勝彦」と記したものがあった[4]が、これは誤りである[25])。当時の柴田は「生活感が表現できる役者になりたい」という理想を持っていたが、実際は生活感のある演技ができず、実写俳優の仕事をしていく中で「これ以上、役者(実写俳優)を続けるのは無理だ」と悩むようになる[26]。東映動画のプロデューサーだった籏野義文からの依頼で1963年に『狼少年ケン』で初めてアニメに出演[10]。その後、大学時代の同級生で歌舞伎仲間だった久保進(後の青二プロダクション会長)に「声専門のプロダクションを始めたいから、いっそのこと声優の専門家にならないか。」と言われ、声優になる[16][27][28]。SOS[4]、松竹[4]、太平洋テレビ[4][21]、劇団未来劇場[4][21]、東京俳優生活協同組合[4][21]、TAP[4]の所属を経て、1969年、久保らと共に青二プロダクションを設立[12][21][29]。「新会社の立ち上げに力を貸してほしい」ということで、大学時代の同級生でテアトル・エコーのマネージャーだった黒田洋を招き入れた[12][23]。結成1年後、黒田が営業部長として加わって、この3人の役員でスクラムを組み、青二プロダクションを発展させてきた[12]。声優の本格デビュー作は同年放送の『タイガーマスク』のミスターX役だが[27]、含み笑いで演じたところ、リズムに乗れたからか、た行で詰まる癖を克服できた[16]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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