柳家小さん_(5代目)
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性格は非常に穏やかで、真打昇進の制度を作ったのは「落語家の生活がよくなるように」 という願いからであった。そのため真打制度への見解の相違から6代目三遊亭圓生らが落語協会を脱退した時は「話し合いにも来ないで」と感じていたという。弟子が居ない時は一人で掃除や洗濯をするなど苦労を惜しまない性格で、大御所でありながら情にもろく、周囲の意見をよく聞くという面があった。一方でそれらが災いし、協会分裂騒動や真打昇進試験の是非を巡る混乱につながったという指摘がある[要出典]。

永谷園即席みそ汁「あさげ」のテレビ広告で発売当初から人気を博した。また、墓所・墓石業の須藤石材のテレビ広告と広告で長らく活躍した。永谷園と須藤石材のテレビ広告は死後、孫の花緑が跡を継いでいる。

墓の案内看板に「これより二つ目 柳家小さん」と書かれていた。墓の位置を示したものが、落語用語の二つ目を連想させたため、これをネタにした落語家もいた。現在は「二基目」と書き直されている。息子の6代目小さんは、「初々しくて良いのではないか」というニュアンスの発言を著書でしている。
剣道家として

13歳の頃から剣道を学んだ。麹町高等小学校では剣道部副将として東京市剣道大会で優勝[2]。職業剣道家を目指すが中耳炎で断念した。生涯を通じて剣道を続け、範士七段まで昇段した。剣道専門誌の『剣道日本』の記事にたびたびなっており、「落語と剣道、どっちが好きかって聞かれたら、剣道って言いますよ」と語ったことがある[要文献特定詳細情報]。

財団法人東京都剣道連盟の顧問を務め、自宅を改装して道場を作り、弟子たちに剣道を教えた。弟子の一人、柳家小団治は現在剣道七段である。

剣道の他に居合道二天流剣術を学んでおり、広く剣術に造詣が深かったといえる。
逸話

本名が同じ「こばやし もりお」である縁で、八代目三升家小勝(表記は小林守巨)によく稽古をつけていた。

弟子である四代目桂三木助の本名は小さんと完全に同姓同名の「小林盛夫」であるが、これは四代目三木助の父である三代目桂三木助(本名:小林七郎)と小さんが義兄弟の杯を交わすほどの大親友であり、三代目三木助が息子に「小さんのようになって欲しい」との願いを込めて同じ名前を付けたためである。なお、四代目三木助の入門後は全くの同姓同名であるために郵便物の取り違えが多発したという。

小三治時代、落語芸術協会から移籍をもちかけられたが、それを阻止するために落語協会香盤を引き上げた。八代目桂文楽は、自身の総領弟子の六代目三升家小勝の一つ上でもよいといったが、さすがにそれでは小勝が可愛そうだという六代目三遊亭圓生の意見で、小勝の一つ下という位置になった。

同じく人間国宝である三代目米朝と「落語国宝二人会」を開催したり、息子の柳家三語楼(現:六代目柳家小さん)・孫の柳家花緑と親子三人会をやったことがある。

米朝が人間国宝に認定されたとき、記念番組で「落語界の今後のために、互いに精進していこう」と祝いのコメントを出した。その後、前述の落語会やいくつかの番組で共演をしている。

小さんが人間国宝に認定された際、日本テレビ系番組『進め!電波少年』において「人間国宝を磨きたい!」(1995年4月30日放送分)という企画で松村邦洋がアポなしで自宅を訪問して来たが、小さん自らこれに対応したところ突如として松村により頭を手拭いで磨かれた。

東京都豊島区目白に在住していたことから「目白の師匠」という通名があった[3]

宗旨は本門佛立宗で、弟子が掃除などのために家に来たとき、仏壇の前でお題目を唱えていたという。五代目小さんの墓所は東京都世田谷区の乗泉寺世田谷別院にある[4]

1991年9月、幸福の科学が代表・大川隆法に関する雑誌『FRIDAY』の記事の内容に抗議して講談社前でのデモや訴訟などを起こした際(講談社フライデー事件)、家にフライデー編集部と誤認した(電話番号が似ていたためと思われる)会員からの抗議電話がひっきりなしにかかってきて対応に苦慮したことをフジテレビTHE WEEK』のカメラに語った。この時、番組にスタジオ生出演していた会員の景山民夫はカメラに向かって平謝りしていた[要出典]。

1996年、高座の合間に上野広小路でマッサージを受けている最中に脳梗塞を発症した。この時、たまたま同室の客が東京大学の医師で迅速な対処を受けることができたため、後遺症が比較的軽く済んで高座に復帰することができた。弟子の鈴々舎馬風は新作落語『会長への道』でこの一件に触れ、「ツイてる男は違う」と評している。現在も同作に限らず、マクラでこのエピソードを語ることが多い。救急車の中で「高速は使うな、No高速(のうこうそく)」と言った、とネタにしているが真偽は不明である。

最晩年まで入れ歯を用いず、自分の歯であることが自慢のひとつであった[5]

死去前夜「ちらし寿司が食べたい」と言い、寿司屋から取り寄せて夕食に食べ、「明日は、いなり寿司が食べたい」と言って寝室に行った。翌朝長女が起こしに行って異変に気がつく[6]。夜中に心臓発作を起こして亡くなっていたという大往生だった[7]
得意ネタ

青菜

うどん屋

お化け長屋

親子酒8代目三笑亭可楽から教わった)

笠碁3代目柳亭燕枝から)

かぼちゃ屋

御慶

禁酒番屋


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