柳ヶ瀬_(岐阜市)
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岐阜近鉄百貨店では岐阜駅前への移転を検討していたが[10]、旧店舗の跡地問題などを理由に断念し、1999年(平成9年)春には同年秋の閉店を決定した。この際、島屋岐阜店についても赤字店として閉店のうわさが流れるほどとなった[11]。その後も同店の関連施設であった「イマージュ」は京都近鉄百貨店と合併した近鉄百貨店に引き継がれて運営を続けたが、ビル所有者「柳ヶ瀬ビル」の破綻を受けて2001年(平成13年)夏に閉鎖された。

2005年平成17年)4月1日には名鉄岐阜市内線(路面電車)が廃止され、鉄道駅からのアクセスが不便となったことで、さらに衰退に拍車がかかった。同年10月1日、柳ケ瀬唯一かつ岐阜市唯一のデパートである岐阜タカシマヤが1977年(昭和52年)の開店以来となる大規模リニューアルを行った。

2008年(平成20年)から、非公式キャラクターやななを中心として中心市街地活性化のプロジェクトが行われた。しかし、やななは、2013年(平成25年)に引退した。

2009年(平成21年)3月には柳ケ瀬商店街が中小企業庁によって新・がんばる商店街77選に選定された。

2011年(平成23年)4月22日、中心市街地の活性化を目的として地元商店街と岐阜市が誘致した「ドン・キホーテ柳ケ瀬店」(2020年令和2年)10月閉店)が、旧メルサ跡地にオープンした[12][13]。これにより近年遠退いていた若年層の客足が戻り、高島屋との間に買物客の回遊性が生まれたことで[13]、商店街の中には「大型店のレシートを提示すると割引」するなどのサービスを行う店も出てきている。

2012年(平成24年)7月13日には町おこしの企画として、岐阜発祥の口裂け女を主役とした「柳ヶ瀬お化け屋敷 恐怖の細道」が柳ヶ瀬商店街で開催された[14][15]。プロデューサーはオカルト作家の山口敏太郎であり[14][15]、名誉顧問は美川憲一である。

2014年(平成26年)7月2日、美川憲一が歌手生活50周年を迎えた記念として柳ヶ瀬歌謡ショー2014に参加[16]、特別ゲストとして歌唱しトークショーと握手会など開催した[17]

2016年(平成28年)4月1日の『柳ヶ瀬ブルース』発売50周年を記念して[18]、7月22日にホテルグランヴェール岐山で美川憲一がチャリティーコンサートを行った。7月23日には旧長崎屋前の特設ステージにて[19]、観覧無料の「憲ちゃんまつり」が開催された。「憲ちゃんまつり」の入場者数は二千人となり[20]、昭和の柳ヶ瀬商店街の特徴であった「肩と肩が触れ合う[21]」が再現された。

2021年(令和3年)、岐阜県暴力団排除条例が改正され、柳ヶ瀬が暴力団排除特別強化地域に指定。同地域内で暴力団みかじめ料徴収を行うこと、また、飲食店側がみかじめ料を支払うことに対して罰則規定が設けられた[22]
商業施設柳ケ瀬唯一の百貨店の岐阜高島屋柳ケ瀬側から見た島屋柳ヶ瀬劇場街

かつて柳ヶ瀬には5店舗の大型商業施設があったが、郊外型大型ショッピングモールの開業や名古屋市の大型商業施設との競合により、4店舗(隣接する新岐阜のジャスコ岐阜店・ダイエー岐阜店・新岐阜百貨店・岐阜パルコを含めれば8店舗)が撤退した。2005年(平成17年)には唯一の大型商業施設となった岐阜タカシマヤ(島屋)がリニューアルオープンした。2011年(平成23年)4月にドン・キホーテ柳ケ瀬店が旧岐阜メルサ跡地にオープンしてからは、近年遠退いていた若年層の客足が戻りつつある。しかし、そのドン・キホーテも2020年(令和2年)10月には閉店し、一進一退の状況が続いている。
大型商業施設
現存する店舗
岐阜高島屋島屋
柳ケ瀬唯一の百貨店。売上高は1991年(平成3年)の249億円をピークに減少し、2005年(平成17年)2月期には156億円にまで落ち込んでいた。業績悪化に歯止めをかけるため、2005年(平成17年)に大規模なリニューアル工事を実施した結果、業績の回復に成功した。2006年(平成18年)には別館に無印良品をオープンさせた。しかし、2023年(令和5年)2月期には売上高132億円に落ち込み、入居ビルの設備更新を巡る家主との交渉決裂と経営の悪化を理由に2024年7月末をもって閉店し、運営会社も解散することを決定した[23]
閉店した店舗
岐阜近鉄百貨店1999年(平成11年)9月閉店 / 現・岐阜中日ビル)
京都物産館が開設した丸物岐阜支店をルーツとする京都近鉄百貨店の支店で[24]近鉄百貨店(本社:大阪市阿倍野区)の直営店ではなかった。百貨店のほか、「近鉄アミコ」「イマージュ」といったファッションビルも併設していたが[25]、こちらは2001年(平成13年)に閉店した。島屋の進出以前から立地し、長らく、柳ヶ瀬のシンボルとして存在したデパートであった。
長崎屋岐阜店(2002年(平成14年)2月閉店 / 広場として整備する方針)
総合スーパー。長崎屋本体の経営破綻の影響により閉店。その後も商店街の真ん中に解体もされない廃ビルとして20年以上も残っていたが、2023年度以降岐阜市の負担で解体して用地取得し、都市計画法に基づく広場として整備する方針が示されている。
岐阜センサ(2004年(平成16年)8月閉店 / 現・プレサンスロジェ 岐阜長良橋通り)
ファッションビルグランドタマコシの岐阜店として開業した後、ファッションビルへ業態転換を図った。運営母体であった総合スーパーのグランドタマコシが2004年(平成16年)2月に民事再生法を申請し、支援する平和堂への営業譲渡対象から外れたため清算された。全盛期には88店舗が入居し、岐阜における若者文化の発信地であった。
岐阜メルサ2009年(平成21年)8月閉店)
名古屋鉄道系列。ファッション館とグルメ館(現・ジグザ神田)があり、ファッション館8Fにはコンサートホール(名称:メルサホール)があった。
ドン・キホーテ柳ケ瀬店(2020年(令和2年)10月閉店)
2011年(平成23年)4月22日に旧岐阜メルサ跡地にオープンした大型ディスカウントストア。岐阜県では2店舗目、岐阜市へは初出店となる。ビルを所有する名古屋鉄道から全館を借りて営業。1階から3階までを直営店とし、ほかに百円ショップやネイルサロンなどが入居する。長時間深夜営業(午前10:00?深夜3:00まで)・低価格・豊富な品揃えを売りにしている。しかし、2020年(令和2年)10月25日を以て閉店した。8階には大衆演劇の常設劇場であるぎふ葵劇場が入り、300席という客席数は全国屈指の規模であった[26]。2011年(平成23年)7月、柳ケ瀬通りにあった大衆演劇場の豊富座が移転・改称したものであった[26]。館内ではドリンクや弁当などを販売し、飲食スペース等も併設していた。2022年(令和4年)現在、跡地の開発は未定である。
銀行


中京銀行岐阜支店(金宝町)

第三銀行岐阜支店(柳ケ瀬通り)

大衆演劇場・映画館

岐阜市が誕生した頃に、大黒座と泉屋という芝居小屋が建てられたのが柳ケ瀬の大衆演劇の歴史の始まりである[27]。明治30年代には、新しい娯楽として活動写真が親しまれるようになり[28]、明治43年に最初の活動写真館常設館である「電気館」が建てられた[29]


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