柳さく子
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]
『流転 第二部・星』 : 監督二川文太郎、1937年9月13日公開 ※現存(NFC所蔵[31])
『番町皿屋敷』 : 監督冬島泰三、1937年11月1日公開 - お里 ※現存(マツダ映画社所蔵[32])
『鼠小僧初草鞋』 : 監督古野栄作、1937年12月15日公開
『初姿お神楽半次』 : 監督犬塚稔、1938年1月7日公開
『お駒才三 恋の黄八丈』 : 監督星哲六、1938年2月10日公開
『いろは系図』 : 監督冬島泰三、1938年5月5日公開
『時勢は移る』 : 監督古野栄作、1938年6月9日公開 - おあき
『尊王祇園会』 : 監督冬島泰三、1938年7月14日公開
『白鷺の唄』 : 監督冬島泰三、1938年10月13日公開
『奴銀平』 : 監督大曾根辰夫、1938年10月27日公開 - お豊
『月夜鴉』 : 監督井上金太郎、1939年3月16日公開 - もみぢの女将 ※現存(NFC所蔵[31])
『親恋道中』 : 監督広瀬正明、1939年4月1日公開 ※現存(NFC所蔵[31])
『股旅八景 三ツ角段平』 : 監督古野栄作、1939年4月20日公開 - おつぎ
『銭形平次捕物控第二話 名月神田祭』 : 監督笠井輝二、1939年5月4日公開 - 踊の師匠
『いざよひ峠』 : 監督星哲六、1939年5月25日公開
『千両判官』 : 監督広瀬正明、1939年7月27日公開
『夢の市郎兵衛』 : 監督星哲六、1939年9月7日公開
『与三郎吹雪』 : 監督笠井輝二、1940年2月1日公開
『美女桜 暴風篇』 : 監督大曾根辰夫、1940年2月29日公開 - おとわ ※35mmオリジナルのみ現存(マツダ映画社所蔵[32])
『美女桜 黎明篇』 : 監督大曾根辰夫、1940年3月7日公開 - おとわ ※35mmオリジナルのみ現存(マツダ映画社所蔵[32])
『仇討恋人形』 : 監督冬島泰三、1940年3月14日公開 - おたつ
『維新子守唄』 : 監督星哲六、1940年4月19日公開 ※現存(NFC所蔵[31])
『縁結び高田馬場』 : 監督小坂哲人、1940年8月8日公開 ※現存(NFC所蔵[31])
『両国の三人娘』 : 監督星哲六、1940年8月29日公開
『権三と助十』 : 監督古野栄作、1940年11月16日公開 - お兼
『弥次喜多捕物道中』 : 監督大曾根辰夫、1941年1月14日公開
市川右太衛門プロダクション
『いざよい帖 流転の巻』 : 監督白井戦太郎、サイレント映画、1933年1月26日公開 - 芸妓小菊
『いざよい帖 興亡の巻』 : 監督白井戦太郎、サイレント映画、1933年2月22日公開 - 芸妓小菊
『中仙道を行く退屈男』 : 監督古野英治、サイレント映画、1935年1月7日公開 - お楽
『中仙道を行く退屈男 後篇十万石を裁く退屈男』 : 監督古野英治、サイレント映画、1935年2月8日公開 - お楽
第一映画
『裏町の乾杯』 : 監督鈴木重吉、1935年5月22日公開
松竹太秦撮影所
『文七元結』 : 監督井上金太郎、サウンド版、1936年5月14日公開
『千両長脇差』 : 監督秋山耕作、1936年11月13日公開
新興キネマ京都撮影所
『怪談鴛鴦帳』 : 監督木藤茂、1938年3月30日公開 - お徳 ※現存(NFC所蔵[33])
松竹京都撮影所
『伴淳・アチャコのおやじ教育』 : 監督酒井欣也、1959年9月20日公開 - 千鳥亭の婆や ※柳咲子名義[23]
『お夏捕物帖 月夜に消えた女』 : 監督萩原遼、1959年11月13日公開 - 婆やおとく ※柳咲子名義[24]
『女の坂』 : 監督吉村公三郎、1960年6月17日公開 ※クレジット無し[25]
著書
春夏秋冬に配した着物の着附と帯の結び方(芳蘭閣書店、1929年)
脚注
注釈^ デビュー当初は、「柳咲子」と漢字表記の印刷物が多かったが、しばらくすると「柳さく子」と平仮名を交えたものが多くなり、松竹の社史でも「柳さく子」の名前で統一されている[1](但し上記の経緯から、後年の映画資料でも漢字表記のものは少なくない)
^ 小柄なさく子と、肥大漢の野村との取り合わせは、あたかも大木に蝉が止まっているが如きと形容され、「木蝉(ボクセミ)事件」とも呼ばれた[10]。この件に関連して、当時のスター俳優3人(勝見庸太郎・諸口十九・岩田祐吉)による、野村の弾劾事件も起こっている[11]。なお野村自身は、さく子との親密な関係を否定しているが[12]、野村の後任の蒲田撮影所所長・城戸四郎は、「現場を押さえていない以上、断定的なことは言えぬが、野村が柳にかなり入れあげていたという事実は否定し難い」という趣旨の証言を残している[13]
^ この異動に関しては、左遷説(妻子ある野村とさく子のスキャンダルに対する懲罰措置)[10][12]と、配置替え説(時代劇部門の強化を目的としたもの)[14]の2説がある
出典^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag 『日本映画俳優全集・女優編』、708頁
次ページ記事の検索おまかせリスト▼オプションを表示暇つぶしWikipedia
Size:68 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef