投技とは「理合い」にしたがって相手を仰向けに投げる技術である。立って投げる立ち技と体を捨てて投げる捨身技にわけられる。立ち技は主に使用する部位によって手技、腰技、足技に分かれる。捨身技は倒れ方によって真捨身技、横捨身技に分かれる。また柔道の投げ技は、(1) 試合や自由練習(乱取)で用いられる投げ技、(2) 関節技を利用した投げ技、(3) 当て身技を施しながらの投げ技の3つがあるが、試合や練習では(1)が使われ、(2) や (3) の方法は「形」によって学ぶことになっている[22]。乱取り試合においては関節を極めながら投げると投技とはみなされない。
固技詳細は「固技」を参照
固技(かためわざ)には抑込技、絞技、関節技がある。講道館柔道では固技が全部で32本あり、抑込技(おさえこみわざ)10本、絞技(しめわざ)12本、関節技(かんせつわざ)10本である。IJF制定のものでは一部異なるものがある。おもに寝技で用いることが多いが、立ち姿勢や膝を突いた姿勢でも用いられ、固技のすべてが寝技の範疇に入るわけではない。(寝技と固技は互いに重なり合う部分が大きいとは言える。)また、国際規定では2018年に両者立ち姿勢での絞技・関節技は禁止された。しかし国内の高段者大会など講道館規定においては依然使用可能対象である。また技術体系としては形において依然として立ち絞め技、立ち関節技も学びの対象となっている。現在の乱取り試合においては肘関節技以外を禁じ手としているが、形においては肘関節技以外の手首関節技、足関節技も使用対象となっている。かつての柔道試合の行われていた各時期・各時代背景、各規程によっては、肘関節技以外の手首関節技、指関節技、足関節技、首関節技なども乱取り試合において使用可能であり、各々の時代背景により使用可能な技術体系は常に変化している。 当身技(あてみわざ)は、天神真楊流の技術を踏襲している。 当身技もしくは当技(あてわざ)とは、急所といわれる相手の生理的な弱点などを突く、打つ、蹴るなどの技であり、試合や乱取りでは禁止されているが、形の中で用いられる。そのため柔道では当身技が禁じ手・反則技として除外されたと思われている。講道館では極の形・柔の形、講道館護身術などに含まれる柔道の当身技について、「当身の優れたテクニック同様、こういった攻撃されやすいところ(編注:急所のこと)という認識は天神真楊流から伝えられてきたものである」としている[29]。極の形、柔の形は精力善用国民体育の形・相対動作の元になっている。極の形は、初め天神真楊流から引き継いだ形を元にしており「真剣勝負の形」と呼ばれていたが、武徳会時代に嘉納治五郎を委員長とし武徳会参加全流派からの代表を委員とした日本武徳会柔術形制定委員会によって講道館の真剣勝負の形をもとに長時間の白熱した議論がなされ、柔術緒流派の技を加えて柔術統一形としての今の形となった。
投技と固技の変遷
1884年(明治17年)、1885年(明治18年)ごろ - 乱取の形(投の形、固の形)制定
1888年(明治21年) - 嘉納治五郎が使用した柔道講義用ノート『柔道雑記』にて、投技、固技の各種技の記載[23]
1895年(明治28年) - 投技「五教の技」発表
1920年(大正9年) - 投技「五教の技」改定
1954年 - 講道館技研究部設立[24]
1982年(昭和57年)10月5日 - 講道館柔道の技名称投技発表[25]
1985年2月1日 - 講道館柔道の技名称固技発表[25]
1995年9月(平成7年) - 千葉市でのIJF総会でIJF技名称制定(100本)を承認[26]
1997年(平成9年)4月1日 - 講道館柔道の技名称改定(96本)、IJF同様、一本背負投、袖釣込腰を独立、「本袈裟固」を「袈裟固」に改称
1997年4月 - IJF技名称改定
1998年(平成10年)2月 - IJF技名称改定(99本)、講道館同様、腰絞を送襟絞に包含[27]、裏固を除外(のちに復活)、関節技の「腕挫○○固」 も正式名称に追加、禁止技として足緘、胴絞、蟹挟、河津掛を追加[28]
2017年(平成29年)- 講道館柔道の技名称改定、IJF同様、浮固、裏固を追加、帯取返、小内巻込を独立
当身技