カトリック教会・ルーテル教会などの枝の主日では、棗椰子(なつめやし)や棕櫚(しゅろ)などヤシ科の植物などの枝(現代の植物学的に言えば「葉」にあたる)を聖別する。正教会では聖枝祭に相当する。これは、イエスがエルサレムに入城する時、群衆が棗椰子の枝を持って、当時 王を迎える時にしていたのと同じように迎え入れたことにちなむ。その翌日のこと、祭りにきていた群集は、イエスがエルサレムにこられると聞いて、シュロの枝を手に持ち、迎えに行った。そして叫んだ。「ホサナ。主の名によってこられる方に、祝福あれ、イスラエルの王に。」 ? ヨハネ 12:12-13
また次のたとえはしばしば言及される。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっていれば、その人は実をゆたかに結ぶ。 ? 新約聖書、『ヨハネによる福音書』 15:5、イエスの言葉 日本の仏教ではシキミの枝が供養などに用いられることがある。仏壇の脇に配置したり、墓前に供えたりする。 神道ではサカキの枝が神事に用いられることがある。 情報工学ではデータ群やファイル群などを、樹木に似せたツリー構造(木構造)で構築することがあり、そこではノードから分かれた先を枝と呼ぶことがある。フローチャートの枝分かれ また、命令の一連の流れが枝分かれすることをbranch
日本の仏教や神道
日本の仏教で用いられるシキミの枝
神道で用いられるサカキの枝
情報と枝ツリー構造
脚注^ デジタル大辞泉「枝」
^ 大辞林
^ a b c d e f 広辞苑 第五版 p.295「枝」
^ こうしたことを学術的には概念メタファーとも言う。
^ 出城とも
^ a b 岩波 生物学辞典 第四版 p.129「枝」
^ ⇒[1]
関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィクショナリーに関連の辞書項目があります。枝 ウィキメディア・コモンズには、枝に関連するメディアがあります。
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香典(枝、枝義理)
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