林家正蔵
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2代目

2代目 林屋(はやしや) 正藏(しょうぞう)
生年月日
不詳年
没年月日不詳年
出身地 日本
師匠初代林屋正藏
名跡1. 林屋林正
2. 2代目林屋正藏
家族初代林屋正藏(義父)
備考
東大落語会によれば正式には3代目


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2代目林屋正藏 - 元千住焼き場の僧侶。通称「沢善正蔵」(※「沢善」の表記は諸説あり)。「蒟蒻問答」「野晒し」の作者といわれる。東大落語会によれば実は3代目が正しいという[2]。母が初代正蔵の後妻となり養子になる。初名を林正、1839年に2代目正藏を襲名。弟弟子・林家林蔵門下の林家正三が上方に移り、上方・林家を興す(ただし、6代目林家正楽で途絶える)。俗称を「朝蔵」。
4代目

四代目 林屋(はやしや) 正藏(しょうぞう)
本名林屋 正蔵(読み同じ)
別名市川 東次
生年月日
不詳年
没年月日1879年7月2日
出身地 日本
師匠二代目林屋正藏
名跡1. 不明
2. 林屋上蔵
3. 林屋正楽
4. 四代目林屋正藏
5. 三木屋正藏
6. (亭号不明)正翁
活動期間不明 - 1879年


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四代目 林屋 正藏 - 本名を林屋 正蔵(読み同じ)に改名。元は役者で市川東次(中村藤次とも)、のちに2代目正蔵の門下で初名不明、上蔵、正楽を経て、1865年ごろに四代目正藏を襲名。一時二木屋正藏。1878年に正翁と改名。1879年7月2日没。享年不詳。

怪談の名手。麻布我善坊に居住したため、通称「我善坊の正藏」「二木屋の正藏」。
弟子

林家正楽

林家正之助

5代目

五代目 林家(はやしや) 正蔵(しょうぞう)・林家(はやしや) 正童(しょうどう)
本名吉本 庄三郎(よしもと しょうざぶろう)
別名沼津の師匠
生年月日
1824年12月30日
没年月日 (1923-03-06) 1923年3月6日(98歳没)
出身地愛知県
死没地静岡県
師匠二代目林屋正藏
名跡1. 林屋正吉
(1841年 - ?)
2. 林屋正橋
(時期不明)
3. 林屋正鶴
(時期不明)
4. 林屋正鱗
(? - 1888年)
5. 五代目林家正蔵
(1888年 - 1912年)
6. 林家正童
(1912年 - 1923年)
活動期間1841年 - 1923年


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林家 正童(1824年12月30日 - 1923年3月6日)は、落語家。本名は吉本 庄三郎(よしもと しょうざぶろう)。

この代から「林家」となるが、江戸(東京)・林家の系統は五代目で途絶える。
経歴

三河国幡豆郡平坂湊(現在の愛知県西尾市平坂町)の生まれ。家は代々農家を営んでいたが父・河原惣左衛門の代で零落したため14歳で江戸に出て青山南町の酒屋「中伊勢屋」に奉公する。のちに「四万」に奉公に出た。奉公先の「四万」の贔屓の常連客が桂語楽という落語家で親しくなり語楽の知人の二代目林屋正藏に懇意となる。

1841年二代目林屋正藏門下で正吉、正橋、正鶴、正鱗を名乗り、1888年に五代目林家正蔵を襲名。1912年2月に正童となった。

晩年は沼津に居住し「沼津の師匠」と呼ばれる。1923年3月6日没。享年100。このため通称は「百歳正蔵」。辞世の句は「百とせを花に過ごして花乃山」[3]、墓所は住まいのあった近所の沼津市末広町真楽寺[3]
芸歴

1841年 - 二代目林屋正藏に入門、「正吉」を名乗る。

時期不明 - 「正橋」と改名。

時期不明 - 「正鶴」に改名。

時期不明 - 「正鱗」に改名。

1888年 - 「五代目林家正蔵」を襲名。

1912年2月 - 「正童」に改名。

演目

怪談噺の名手だった。
逸話

落語家きっての色男で80代の時に娘が誕生し、娘は正蔵が99歳の時に沼津で「九十九(つくも)」の名で芸者になっている。
弟子
移籍

林家正朝 - 三代目柳亭燕路門下に移籍。

6代目

六代目 林家(はやしや) 正蔵(しょうぞう)
本名今西(いまにし) 久吉(ひさよし)
生年月日
1888年11月5日
没年月日 (1929-04-25) 1929年4月25日(40歳没)
出身地 日本
師匠二代目談洲楼燕枝
名跡1. 談洲楼桂枝
(1909年 - 1911年)
2. 四代目五明楼春輔
(1911年 - 1915年)
3. 柳亭小燕路
(1915年 - 1918年)
4. 六代目林家正蔵
(1918年 - 1929年)
活動期間1909年 - 1929年


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六代目 林家 正蔵(1888年11月5日 - 1929年4月25日)は、落語家。本名?今西 久吉。

1909年3月 - 二代目談洲楼燕枝に入門、「桂枝」を名乗る。

1911年5月 - 「四代目五明楼春輔」を名乗る。

1915年2月 - 「柳亭小燕路」を名乗る。

1918年4月 - 「六代目林家正蔵」を襲名。

六代目襲名以降、江戸(東京)・林家は柳派の傍流となる。1929年4月25日没。享年42。7代目とは同じ柳派であるが、繋がりが薄い(6代目の師匠が7代目の大師匠に当たる)。

六代目春風亭柳枝らとともに「落語同好倶楽部」を結成し噺家以外から岡鬼太郎作家)、森暁紅(記者)、正岡容(演芸作家)、徳川夢声活動弁士)等の著名人を招いて噺を聞く会を開いた。当たりネタ「居残り佐平次」より通称「居残りの正蔵」や「今西の正蔵」。
弟子

初代林家正楽

四代目柳亭燕路

7代目

七代目 林家(はやしや) 正蔵(しょうぞう)

1948年撮影
本名海老名 竹三郎(えびな たけさぶろう)
生年月日1894年3月31日
没年月日 (1949-10-26) 1949年10月26日(55歳没)
出身地東京三ノ輪
師匠初代柳家三語楼
名跡1. 柳家三平
(1919年 - 1924年)
2. 七代目柳家小三治
(1924年 - 1930年)
3. 七代目林家正蔵
(1930年 - 1949年)
活動期間1919年 - 1949年
配偶者海老名うた
家族初代林家三平(長男)
海老名美どり(孫)
泰葉(孫)
九代目林家正蔵(孫)
二代目林家三平(孫)
林家たま平(曾孫)
林家ぽん平(曾孫)
所属東京落語協会
(1919年 - 1927年)
三語楼協会
(1927年 - 1930年)
日本芸術協会
(1930年 - 1934年)
東宝名人会
(1934年 - 1949年)
備考
日本芸術協会理事長
(1930年 - 1934年)


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七代目 林家 正蔵(1894年3月31日 - 1949年10月26日)は、落語家。

東京三ノ輪出身。本名は海老名 竹三郎(えびな たけざぶろう)。海老名という苗字は母方の実家の名字で海老名家は鉄砲奉行の同心の家と伝わる。旧姓は山崎である[4]。家業は穴蔵屋(角風呂専門の製造業)であったと長らくされてきたが風呂桶職人で素人の天狗連で新内や落語を語っていた。


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