林家たい平
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2014年6月、落語協会理事に就任[6]。2016年5月29日放送の『笑点』にて、同年の『24時間テレビ39「愛は地球を救う」』(日本テレビ系)のチャリティーマラソンランナーを務めることが発表され[7]、同年8月28日には3か月前に『笑点』の司会から勇退した桂歌丸の本名「椎名巌」にかけて設定された100.5キロメートル(いわおGO)の道のりを完走した。放送直後の『行列のできる法律相談所』に生出演した際には、マラソンに備えて体重を10kg落としたことなど裏話を語ったほか、自身が大ファンという女子プロテニス選手の伊達公子や特撮テレビヒーローのミラーマンがご褒美ゲストとして駆けつけ、たい平へのプレゼントをそれぞれ手渡した[8]。これ以降はマラソンを新たに趣味としており、地方で行われるマラソン大会にも何度か出場している。

2017年11月29日、自身が『木久蔵ラーメン』に対抗して制作した『秩父たい平カレー』が発売された。2018年12月2日から3日に開催された秩父夜祭にて、屋台の上に乗り曳き手を鼓舞する囃子手を務めた[9]

2019年3月、長男・咲太朗 がたい平の二番弟子として入門(前座名は「さく平」)。2020年4月 - 自身のYouTubeチャンネルを開設。8月には落語協会理事から、落語協会常任理事に昇格。

2022年1月23日、新型コロナウイルスに感染したことを公式ブログで発表[10]

2022年7月22日、実家をリフォームして1階を「だがしやたい平」と兄が営む整体院、2Fを「たい平美術館」(予約制)としてオープンさせた[11]
人物

言霊群団「夢吽空」団員。「駄句駄句会」同人、俳号は「中瀞(ちゅうとろ)」。血液型はB型。本名は田鹿明(たじか あきら)。

芸名にちなみ、手ぬぐいや色紙・著書などにの絵柄をよく用いる。愛称は「たいちゃん」。これは、たい平の師匠であるこん平の愛称「こんちゃん」に由来する。

生まれ故郷の秩父に愛郷心を抱いている。『笑点』(日本テレビ)でも時々挨拶の際に、秩父でのイベント情報などを盛り込んで秩父のことを紹介しており、毎年11月下旬には翌月開催の秩父夜祭を大々的にPRしており、参加の様子は派生番組の『笑点 特大号』で放送されている。2009年に俳優の藤原竜也、演歌歌手の冠二郎THE ALFEE桜井賢と共に秩父市の観光大使に任命された[1]。『笑点』の大喜利では大月秩父代理戦争ネタを三遊亭小遊三と展開していたが、2010年6月6日に大月市で行われた独演会では、秩父市長・久喜邦康と小遊三と同窓の大月市長・石井由己雄も交えてトークバトルが行われた。さらに、同年10月24日には、「第2弾」として、秩父市で両市長も交えたトークバトルが行われた[12]

落語家を志すきっかけは、大学に入学した際に立ち寄った落研サークルが当時は廃部寸前だったため、何とかしなければと友人数名を集めて廃部を撤回させたことにある。落研サークルでの高座名は「遊々亭迷々丸(ゆうゆうてい めめまる)」。その当時は落語を観たことも聴いたこともなかったために漫才コントをやっていたが、ある時たまたまラジオで流れていた人間国宝五代目柳家小さんの『粗忽長屋』を聴いて感動し、真剣に落語を始めた[2]。その後、大学4年生の時に宮城県石巻市の高齢者介護施設で落語を披露し、聞いていた老人たちの笑顔に励まされ、日和山の桜の木の下で落語家になることを決意した[13]

武蔵野美大出身という学歴を活かし、著書や自身のCDの挿絵を自ら担当するなど画才でも知られる。また、同じく絵を描くことで知られている林家木久扇の絵のアシスタントをしていたことがある。

日本テレビ系列の長寿番組『笑点』に、2004年12月26日放送分から病気療養のために休演した師匠こん平の代役として出演。後にこん平司会者だった五代目三遊亭圓楽の勇退と同時に正式メンバーとなり、現在も出演を続けている。

2006年2月18日に放送された、深夜番組歌スタ!!』(日本テレビ)のスペシャル版『ハンター全員出席! 各界うたいびとガチガチデビューSP』に出演。BEGINの『恋しくて』を歌い、ウタイビトハンターが合格を意味する“よろしく”の札を上げた。その後『笑点』の大喜利で、挨拶や答えの機会を利用して『歌スタ!!』での合格や出演、歌手デビューについて宣伝した。古典落語の『芝浜』にヒントを得た『芝浜ゆらゆら』(作曲・編曲:マシコタツロウ)でCDデビュー(2006年10月18日にコロムビアミュージックエンタテインメントから発売)。2006年10月14日・21日(再放送)放送の『BS笑点』(BS日テレ)では、たい平司会のコーナー「使ってみよう! 落語ことば」の時間を利用して1コーラス披露した。『笑点』の司会者(当時)・桂歌丸からはそれをネタにされ、「あのね、歌のCDなんか出さずに落語のCD出しなよ」と言われているが[14]、落語のCDはすでに複数リリースしている。

『芝浜』の舞台設定などを現代風にアレンジした『SHIBAHAMA』という自作もあり、文化放送で『芝浜』のラジオドラマが制作された際にはアドバイザーを務めている。

2006年10月に登場した日本テレビのマスコットキャラクター「日テレちん」の声を担当していた。

2007年4月から尚美学園大学総合政策学部ライフマネジメント学科の非常勤講師を、2010年4月から母校である武蔵野美術大学(本人曰く「ムサビ」)の客員教授を務めている。

デビュー当時からのサザンオールスターズのファンであり、中学生の頃から桑田佳祐の物真似をしていた。桑田の60回目の誕生日にあたる2016年2月26日には、日経トレンディネットの企画で『林家たい平が選ぶ「カラオケで、車のなかで、桑田佳祐と一緒に歌いたい」20曲』を発表した[15]夏樹陽子のディナーショーにゲスト出演し『いとしのエリー』を歌唱した際には、パーカッションの野沢秀行が客席におり、たい平の桑田の物真似を「デビュー当時の歌い方に似ているよ!」と評価していたことが後日談として語られている[16]
家庭

家族は同年齢である妻の田鹿千華と2男1女。長男の咲太朗は2019年3月にたい平の元に弟子入りし、「林家さく平」の高座名を授け2020年9月に落語協会前座となった(後述)。

妻の千華は仙台市出身で、たい平と結婚する前はリクルートに勤務しており、一時はフリーアナウンサー(フリーキャスター)を務めていたこともある。『笑点』の大喜利などでも度々名前が出ており、前司会者・桂歌丸の妻である椎名冨士子を上回る「恐妻」として紹介されている。一方、たい平は『笑点』で「(千華は)誰に対しても怖いわけではない」と述べている[17]東日本大震災では千華のおじが亡くなったこともあり、たい平は宮城県で慰問を兼ねた救援活動を行っている。千華は『笑点』で名が知れてしまったこともあり、2010年12月に夫が公式ブログを開設しているアメーバブログで個人ブログを始めた(#外部リンク参照)。

『笑点』でも東日本大震災から半年後の2011年9月11日に「笑点がやってきた!」という宮城県石巻市の復興特集を行ったことがあり、石巻市立大街道小学校での収録をたい平自身も木久扇・春風亭昇太山田隆夫とともに参加した。

2008年夏には子供を連れて靖国神社のみたままつりを訪れたことを自身のブログで報告している[18]

たい平は自身の私邸を新築する時に自ら希望して囲炉裏部屋を拵えた。その囲炉裏を囲んで子供たちと会話する時間を大切にしているという[19]
大喜利メンバーとして

著書『笑点絵日記』でも記されている通り、たい平は子供の頃から『笑点』の大ファンだった。その中での林家こん平が強烈に印象に残っていたこともあり、こん平に弟子入りしたとのことである[5]

演芸コーナーで若手大喜利が行われた時代から出演していたメンバーでもある。1998年7月に山田隆夫が4週間休んだ際、大喜利下克上(若手大喜利)にてMVPに選ばれ、1週のみ(第1623回の7月12日)山田の代わりに座布団運びを務め、師匠のこん平と師弟での共演を果たした。その後1999年の正月特番で行われた師弟大喜利でも、師弟での共演が実現。『笑点Jr.』にも、『BS笑点』時代から出演していた。

先述通り、2004年12月26日放送分よりこん平の代役として、若手大喜利から選抜されて大喜利に出演。初出演の挨拶では緊張のあまり、「たい平で?す」と言うべきところを「こん平で?す」と言ってしまった[20][21]


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