家族は同年齢である妻の田鹿千華と2男1女。長男の咲太朗は2019年3月にたい平の元に弟子入りし、「林家さく平」の高座名を授け2020年9月に落語協会前座となった(後述)。
妻の千華は仙台市出身で、たい平と結婚する前はリクルートに勤務しており、一時はフリーアナウンサー(フリーキャスター)を務めていたこともある。『笑点』の大喜利などでも度々名前が出ており、前司会者・桂歌丸の妻である椎名冨士子を上回る「恐妻」として紹介されている。一方、たい平は『笑点』で「(千華は)誰に対しても怖いわけではない」と述べている[17]。東日本大震災では千華のおじが亡くなったこともあり、たい平は宮城県で慰問を兼ねた救援活動を行っている。千華は『笑点』で名が知れてしまったこともあり、2010年12月に夫が公式ブログを開設しているアメーバブログで個人ブログを始めた(#外部リンク参照)。
『笑点』でも東日本大震災から半年後の2011年9月11日に「笑点がやってきた!」という宮城県石巻市の復興特集を行ったことがあり、石巻市立大街道小学校での収録をたい平自身も木久扇・春風亭昇太・山田隆夫とともに参加した。
2008年夏には子供を連れて靖国神社のみたままつりを訪れたことを自身のブログで報告している[18]。
たい平は自身の私邸を新築する時に自ら希望して囲炉裏部屋を拵えた。その囲炉裏を囲んで子供たちと会話する時間を大切にしているという[19]。 著書『笑点絵日記』でも記されている通り、たい平は子供の頃から『笑点』の大ファンだった。その中での林家こん平が強烈に印象に残っていたこともあり、こん平に弟子入りしたとのことである[5]。 演芸コーナーで若手大喜利が行われた時代から出演していたメンバーでもある。1998年7月に山田隆夫が4週間休んだ際、大喜利下克上(若手大喜利)にてMVPに選ばれ、1週のみ(第1623回の7月12日)山田の代わりに座布団運びを務め、師匠のこん平と師弟での共演を果たした。その後1999年の正月特番で行われた師弟大喜利でも、師弟での共演が実現。『笑点Jr.』にも、『BS笑点』時代から出演していた。 先述通り、2004年12月26日放送分よりこん平の代役として、若手大喜利から選抜されて大喜利に出演。初出演の挨拶では緊張のあまり、「たい平で?す」と言うべきところを「こん平で?す」と言ってしまった[20][21]。当初は「復帰まで師匠の座席を死守しなければ」という思いで臨んでいたが[22]、後にこん平が治療に専念するために番組を降板[23]することとなり、2006年5月21日放送分からこん平の後任として正式なメンバーに昇格した。 2005年6月12日放送分で5代目圓楽に自分の名前を忘れられたことがあり[20]、その後このネタがたい平の冒頭の挨拶や大喜利のネタなどで使われるようになった。5代目圓楽はたい平の「外国人パブ」「モノマネ」など『BS笑点』時代からの持ちネタを試行錯誤の末に確立させたことについて、「独自の芸風を確立してよくなってますね」と評価していた(笑点の40周年記念ムック本)。 4代目司会者の5代目三遊亭圓楽が療養のため休演した際、大喜利メンバーが週交代で代理司会を担当していた(2005年11月27日放送分以降は歌丸で固定)が、「自分は、(当時は)あくまで師匠・こん平の代理として出演していており、師匠を差し置いて司会を務めることは出来ない」という本人の意向により、当時の大喜利メンバーの中でたい平のみが司会を務めなかった。レギュラーメンバー昇格後の2008年6月29日放送分で歌丸が一時休演した際に、初めて大喜利の代理司会を務めた。本人はこの時、「ターボが回転しすぎて、収録後に鼻血が出た」と語っている(笑点オフィシャル本より)。後に歌丸が休演した2015年2月1日と同年8月16日放送分においても代理司会を担当した。 2010年の正月特番では、「親子大喜利」コーナーで次男とペアを組んだ。また11月に行われた甥の結婚披露宴では、新郎新婦を祝福する挨拶をシャレを交えて行っている。 歌丸が正式な司会に就任後「(回答形式で必要な物以外の)歌・ものまね禁止」と述べているが、その発端は大概たい平である。 以前は師匠のこん平の流れで「山田降ろしネタ」を展開。また「山田いじりネタ」もあり、大滝秀治の声真似で「水性キンチョール」のCMで共演した岸部一徳に言った「お前の話はつまらん!!」が元ネタの「山田の挨拶はつまらん!!」が多い。また「二度と共演したくない子役とは?」と言う問題では「座布団を運びながら後ろから突き飛ばしてくる元子役」と回答したなど山田隆夫絡みの回答が多く、5代目圓楽司会時には山田に突き飛ばされたり、座布団をすべて没収されていたが、歌丸・昇太が司会を務めてからは、報復こそされるものの山田が没収した分+1枚(時には2枚以上)を獲得することが多い[24]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}最近は[いつ?]三遊亭小遊三との地元罵倒合戦(大月秩父代理戦争)や恐妻家ネタ、「秩父○○祭り」、6代目三遊亭円楽とのブラック団ネタ(お互い自分の師匠に対して毒を盛って現在の笑点の利権を得た)、など他のメンバーとの絡みも多くなっている。ほか、「花火」のものまねのような、アクションの派手なギャグも得意としている[25] が、たいていこれらのネタを披露すると座布団を2枚以上から全部、時には他のメンバーまでも巻き込んで剥奪されるのが定番となっている[20]。『秩父たい平カレー』を発売(発表)してからは、木久扇(『木久蔵ラーメン』や『木久扇ナポリタン』など)と互いの商品を罵倒し合うことが多くなっている。また、その時々の流行[26] や政治・経済を取り上げる社会派ネタも行っている[27] 司会者である春風亭昇太が未婚時代の時は未婚ネタを使っていたが、2019年に昇太が結婚してからは「何かあったのか劇場」で離婚秒読みなどをネタにしている。昇太の言う事を聞かない「学級崩壊」でリーダー的存在で、座布団運びの山田を分回ししたり、舞台の袖に行って大量の座布団を持ってきて「10枚獲得なりました!」(無論司会の昇太が許すはずがなく全座布団はく奪)になっている。 2004年にこん平の代理としてメンバー入りしてから、こん平が座っていた一番右端の6枠に18年の長きに渡って座っていたが、2022年に桂宮治が加入したのに伴い、既存メンバーの席替えも30年振りに行われ、林家木久扇が座っていた3枠に移動した。 林家木久扇最後の大喜利で、前座修行を終えて仕事がなかった時に当時の林家木久蔵から「(私の)家に来て絵の手伝いをしたらどうか?」と言ってもらう。また三食付きだったが、三食共木久蔵ラーメンだった事を語る。 落語家の直弟子を長らく取っていなかったが、非公式(番組内で、たい平曰く「芸能人特別枠」と称している)ながらも林家テリ平(テリー伊藤)、林家たいペー(林家ペー)がいるため、2008年には「たい平一門かい?」と称する独演会が開けるようになったが、「2人とも自分より年上でわがままなので、師匠である私の言うことをまったく聞いてくれない」とネタにしている。 ほかに、テリー同様、『テリーとたい平のってけラジオ』(ニッポン放送)で共演した正木あずみが2010年10月に三味線漫談家として弟子入りし、林家あずみの高座名を名乗っている。
大喜利メンバーとして
芸歴
1988年8月 - 林家こん平に入門。
1992年5月 - 二ツ目昇進。
2000年3月 - 真打昇進。
2004年12月 - こん平の代役として『笑点』の大喜利に出演開始。
2006年 - こん平の正式降板に伴い、5月21日放送分より代役から『笑点』大喜利のレギュラーメンバーに昇格。
役職歴
2014年6月 - 落語協会理事
2020年8月 - 落語協会常任理事
受賞歴
1993年
北区若手落語家競演会優勝
NHK新人演芸大賞優秀賞
1999年
花形演芸賞銀賞
彩の国落語大賞
2008年 - 平成19年度芸術選奨大衆芸能部門文部科学大臣新人賞
役職
一般社団法人落語協会常任理事、真打
一門弟子
落語家
前座
林家さく平 - 長男、咲太朗。2020年9月より楽屋入り
講談
神田茜
色物
林家あずみ - 三味線漫談
移籍
林家なみ平 - 三遊亭好楽門下に移籍
解説