林家こん平
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9月 - 三遊亭圓彌と共に真打昇進[21]


2004年9月 - 『笑点』を休演。12月26日放送分から弟子のたい平が代役として出演。

2005年 - 多発性硬化症と診断されたことを公表。

2006年5月 - 『笑点』40周年を機に大喜利メンバーの座をたい平に譲り、『笑点』を降板。

2007年 - リハビリを続けながらも「第26回林家三平追善興行 林家一門会」にて高座復帰。

2010年3月 - 6年近い闘病・リハビリの日々を中心に半生をつづった著書を講談社から刊行。『笑点』ではたい平が翌月にPRした。

2020年12月17日14時2分 - 誤嚥性肺炎により死去。77歳没。

笑点でのキャラクター

前身番組『金曜夜席』(日本テレビ)の第3回から参加した古参レギュラーであり、同番組ではオレンジ色の色紋付を着用。長らく隣が小難しいインテリ系のくすぐりを得意とする三遊亭楽太郎(後の6代目三遊亭円楽)であるため、挨拶で楽太郎の長舌を受けて「私にはそういう難しいことはわからないんですが…」と頭を振りながらうそぶくことがしばしばあった[22]

地方収録の際は必ず「郷土の皆様、お懐かしゅうございます。○○(地方収録の行われている地名)で生まれて、新潟で育ったこん平が、故郷に戻って参りました」[22][注 4]とホラを吹き、2週目は「第二の故郷というのはありがたいもので、先程から友人知人が手に持ちきれないほどのお土産を持って楽屋を訪ねてきてくれております……」で始まり、「なお、会場の皆様にお知らせがございます。私の帰りのかばんには、まだ若干の余裕がございます」と挨拶した[22]。この新潟出身を前面に出したキャラをやり始めた当初は、まだまだ落語と言えば江戸前、東京という固定観念の強い時代であり、東京、特に下町出身者以外がこのように郷土愛をアピールする例は稀だったため批判も多かったと著書で述べている。

田舎者の権助役であり、大食いキャラ・食いしん坊ネタを売りにしており、メンバーからも攻撃のネタにされていた。『笑点』メンバーの中では一番頭の周囲が大きく、被り物に頭が入らなかったことがあった。「大喜利」では、よく座布団運びの山田隆夫の悪口を言って山田に突き飛ばされたり、蹴り飛ばされたりして座布団を全部持っていかれることが多かった。その他に肥溜めネタ(「2人は肥(恋)に落ちました」など)をはじめとする下品で汚いネタを得意とした[注 5]。故郷の千谷沢村をこん平は「チャーザー村」と呼び、「日本の小京都」と称したが、メンバーからは「人がいない」「ダムの底」などと罵倒された。その一方、「世界平和」「環境保全」などを高らかに謳うネタや、「グランドピアノを施設に寄付」「ニースの別荘」といった大金持ちキャラで回答することもあった。政治ネタを扱う場合には、同じ新潟県出身である田中角栄のモノマネをすることが多かった。

自身が休演することになり、こん平の代役として出演し始めた弟子のたい平のことを当初は非常に心配しており、この頃は『笑点』を全く見ていなかった。しかし、徐々にたい平が大喜利に慣れ始めると実力を認めるようになり、40周年を機に自身の席をたい平に託すことを決意した。40周年記念特番ではたい平に正式に席を譲る旨が書かれた手紙を送っていた。
「チャラーン」

挨拶の締めは、会場の観客と共に「1・2・3、チャラーン。こん平でーす!!」[22]。大元は『佐渡おけさ』であり、こん平が挨拶でうれしいお知らせをするときにチャイムの代わりとして歌っていたものが、歌の冒頭の「チャラーン」の部分だけ残り、現在の形に至る。

長らくこん平単独で「チャラーン」と叫んでいたが、2002年から観客が偶発的に呼応するようになり、最終的にはこん平と観客が大合唱する「視聴者参加型挨拶」と名づけた挨拶を行うようになった[注 6]。これ以降、隣の楽太郎や歌丸は「チャラーンをやる人は愚か者」「良識ある人は絶対にやらないでください」などと観客にお願いするという、一種のフリのような挨拶を行い、全員で「チャラーン」をやる際には二人が耳を塞いで迷惑そうに対処するのが恒例化する。

しかし、こん平の療養による休演後は楽太郎を中心に、他のメンバーも全員週替わりで「チャラーン」の代行をした。こん平の弟子のたい平が代役を務めてからはその回数は減ったが、2006年元日の『大笑点』フィナーレや、同年1月22日の2000回目の放送時、テレビ新潟開局25周年を記念して、こん平の地元・長岡市で収録された同年10月15日の放送時に「師匠こん平から言われていることでありますので」とたい平が観客と共に「チャラーン」を披露。また、「日テレアナウンサー大喜利」に定期的に出演していた藤井恒久は「こん平師匠直伝の視聴者参加型挨拶 最後の継承人」として、挨拶の際は必ず観客と一緒に「チャラーン」を行っていた。正蔵の弟でこん平の直弟子である2代目林家三平(当時の芸名は林家いっ平)もメンバーになる前の2005年4月に番組内で行われた9代目林家正蔵襲名披露口上の席上で、師匠快癒を祈念して「チャラーン」を披露した。

ちなみに、1999年の新春師弟一門大喜利にて、当時2ッ目だったたい平と共に師弟揃い踏みで「チャラーン」を披露したが、大喜利での師弟揃い踏みの「チャラーン」はこの時が唯一である。(後にこん平の弟子でかつたい平の妹弟子でもあるぼたんの真打昇進披露口上と24時間テレビのたい平のマラソンスタートの際などで師弟「チャラーン」は実現している。)

2003年8月10日に座布団10枚を達成し、その賞品としてタヒチ旅行を獲得した際はフランス語で「アン(un,1)、ドゥ(deux,2)、トロワ(trois,3)、チャラーン!」と叫んでいた。
追悼番組

笑点』(日本テレビ、2021年1月31日)- 大喜利では、1問目に追悼企画として「チャラーン」を使った問題が出題された[23]

ラジオ寄席 ありがとう林家こん平さん』(TBSラジオ、2021年1月24日)- 「越後育ち」を放送。ゲスト林家たい平

なごやか寄席 林家こん平特別編』(東海ラジオ、2021年1月31日) - 「県人会」(1982年収録)、「鮑のし」(1984年収録」を放送。

一門弟子

師匠である初代林家三平の死去に伴い、ぎん平からのん平及びとんでん平が、兄弟子であるこん平の門下に移籍した。初代三平の長男で後にこん平から一門の総帥を受け継ぐことになるこぶ平(現在の九代目正蔵)も含まれる。いずれも初代三平死去時に真打には昇進していなかったため、預かり弟子となっている。このため、こん平の直弟子はうん平及びしゅう平以降である。
直弟子

林家源平 - 初代林家三平門下から移籍

林家種平 - 初代林家三平門下から移籍

林家かん平 - 初代林家三平門下から移籍

九代目林家正蔵 - 初代林家三平門下から移籍

林家鉄平 - 初代林家三平門下から移籍

林家しん平 - 初代林家三平門下から移籍

林家錦平 - 初代林家三平門下から移籍

林家うん平

林家のん平 - 初代林家三平門下から移籍

林家とんでん平 - 初代林家三平門下から移籍

林家しゅう平

林家たい平

二代目林家三平

林家ぼたん

色物

林家まる子 - 漫談

翁家勝丸 - 太神楽

三増紋之助 - 曲独楽

廃業

林家ぎん平 - 初代林家三平門下から移籍

林家すい平

林家ひらり

林家謙信平 - もん平改メ

破門

林家ばん平

林家らぶ平 - 2005年8月破門、現在はらぶ平としてフリーで活動

出演
テレビ番組

金曜夜席1965年 - 1966年日本テレビ)- 笑点の前身番組。

笑点(1966年 - 2004年、日本テレビ) - 降板後は不定期出演[24]


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