林原めぐみ
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なお、産休中の『HS』はアシスタントの保志総一朗と臨時アシスタントが担当し、『TBN』は先輩である日のり子が務めた[注 12]
作詞家

出演アニメの主題歌・挿入歌の作詞を多く手がけており、後輩である堀江由衣保志総一朗のほか、たかはしごうがボーカルを務めるバンドのバナナギャングスに詞を提供したこともある。なお、作詞をする際の名義は「林原めぐみ」ではなく「MEGUMI」としている。

初の作詞は、アルバム『Perfume』(1992年)に収録されている「STRAY CAT」「Growing Up」の2曲であり、以降多数の楽曲の作詞を手がけている。また、作詞と比較すると稀ながら作曲も行うことがあり、アルバム『Ir?vat?』(1997年)に収録されている「Thirty」で初めて手がけて以降、以下の7曲を手がけている(「Thirty」「幸せは小さなつみかさね」「ふわり」「旋律」「Forty」「たこやきのうた」「ドーナツのうた」)。

1998年度(平成10年度)文部省検定済小学校4年生用音楽科教科書『音楽のおくりもの4』(教育出版)に楽曲「まつりうた」が初採用されており、2000年度より使用開始された。その後新たに3度の検定・使用期間を通過しており、2013年度現在の教科書でも継続して掲載され続けている[注 13](「まつりうた」はテレビアニメ『BLUE SEED』の劇中曲。本来は歌詞のない曲であったが、林原が作詞をして自身のアルバム『bertemu』に収録した。)。
エッセイスト

アニメ雑誌では『アニメディア』や『アニメV』や『月刊ニュータイプ』でいずれも2年半以上の連載経験があり、特に月刊ニュータイプでは「林原めぐみの愛たくて逢いたくて…」(1999年1月号 - 2004年9月号)・「林原めぐみのぴーひゃら生活」(2005年1月号 - 2008年7月号)と長期に渡って連載を持っていた。アニメ雑誌以外では、「夕刊フジ」関西版で週1回のエッセイを約2年間(1996年11月 - 1998年9月)連載していたほか、「東京新聞」や「TOKYO HEADLINE」などに連載経験がある。これらの多くは抜粋・加筆などの編集がなされて書籍化されており、その他にも複数の書籍が刊行されている。なかでも、自身初の単行本化となった『明日があるさ ?SWEET TIME EXPRESS?』(学習研究社)は発売後増刷を重ねていき、20万部を突破するヒットを記録している[43]

近年では長期間の定期連載は行っていないが、短期間・不定期で新聞や雑誌などにエッセイ・コラムを掲載することがある。

2015年4月4日からは、上述のラジオ番組『林原めぐみのHeartful Station』の放送終了に伴い、同タイトルの公式ブログを開設している。
特徴
活動上の方針

元来、「裏方として」声をあてることを声優として最も重視している。

「声優は、自身が表舞台に立つ事で、児童の持つキャラクターへのイメージを損なってはいけない」という考えや、「カメラの前でキャラクターを演じさせられる(=見世物的になる)だけ」の番組には否定的な考えを持っており、テレビなどの映像メディアへの派手な露出は好んでいない。ただし、そうした番組以外では、「声優という魅力的な仕事を知らない人に紹介したり、良さをわかってもらう」という主旨・目的であれば喜んで出演すると述べている[44]。一例としては、『徹子の部屋』を「面白おかしく受けを取るのではなく、編集されずに『そのまま』でいられ、『まじめ』にトークが出来る数少ない番組」として挙げており、熱烈に希望し続けた結果、2年越しで出演を果たしている[注 14][45]

このようにしてテレビ番組への出演は少ない一方で、上記の主旨に沿う「声優としての自身が伝えたいこと」を話しやすいラジオや雑誌への露出は多く、過去にはアニメ・声優業界には縁の無い法律専門誌[46]やビジネス情報誌[47]などからのインタビューも受け、誌面に載ったことがある。

歌手面でも同様の考えであり、活躍・記録の大きさに反して歌番組への露出は好んでおらず、極端に少ない。林原自身が元々歌手志望でなかったことや、1980年代後半の声優の歌手活動は極めて稀であったことなどから、特に当初は歌手活動には非常に消極的だった。コンサート活動は1990年代当時個人を抜きでアフレコ収録する技術が無く、コンサート開催すると時間的にアフレコの時間が取れなくなることから断っていた[48]、音楽イベントに出演する場合でも、活動初期(1992年に1度、九州工業大学学園祭イベントに出演)だったり、奥井雅美などの身近な友人のイベント、自社レーベルの合同イベントなど最低限の形に留まる。基本的に抽選の末に無料で招待されるラジオの公開録音内で行われる短時間のライブコーナーが、ほぼ唯一の歌披露の場となっていた[注 11]。こうした方針から転換する形で、2017年6月11日に自身初のライブを開催している[49]

また、「お金でファンを区別して一部を優先することはしない」という本人の意向により、公式のファンクラブを現在に至るまで一切立ち上げていないことでも有名である[要出典]。


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