林原めぐみ
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また、この時期は他に3本のレギュラーの仕事(『おそ松くん』『燃える!お兄さん』『いきなりダゴン』)が決まっており、それらをこなした空き時間に看護婦として個人病院でアルバイトをこなす生活を送っていた[注 6][23]。その後、監督や先輩の助言もあり、並行させてきた看護婦のアルバイトを辞めて声優業に専念した。

1989年、『らんま1/2』の女らんまを担当したが、オーディションでは天道あかね役で受けていた[11]。上記の忍部ヒミコも含め、1980年代の終わりには既に主役級のキャラクターを数多く演じるようになっており、以降の人気の足掛かりとなった。

1990年、東京都多摩市サンリオピューロランドが開園。以降、同園その他ほとんどの作品でハローキティの声を4代目声優として担当。そのほか、この年はNHK教育番組『ともだちいっぱい』のソラミ( - 1995年)や国際花と緑の博覧会の花ずきんちゃんなど、マスコットキャラクターの声を多く担当した。ハローキティの声優であることは自分の口からは発表できないらしく、ラジオなどでは「白い猫さんの付き人をしてきました」と言葉を濁している[24]。キティ役は2023年までの33年にわたり担当し、同年をもって降板となった[25]。降板の際にはブログにて長年担当していたことを公表している[25]

1995年、『新世紀エヴァンゲリオン』で綾波レイ、『スレイヤーズ』でリナ=インバースを演じる。特に綾波レイは、それまで活発な役を演じることの多かった林原にとっては異色のキャラクターでもあり、大きな話題となった。

1997年、『ポケットモンスター』でロケット団ムサシのほか、同シリーズで数多くのポケモンの声を担当。ロケット団がバトルに敗北した際の「やな感じ?!」という台詞をロケット団役の声優3人によるアドリブで行い、決まり文句として採用され、定着させた[26]

1998年3月、自身の誕生日に合わせて入籍。2日後に行われた自身のラジオ番組「Tokyo Boogie Night」の公開録音の舞台において、結婚行進曲をBGMにして突如ウエディングドレス姿で登場。3歳年下の会社員と結婚したことを発表し、ファンを驚かせた[注 7]。この公録の様子は、4月5日の放送の冒頭で紹介され、林原から改めて視聴者に向けて報告された。最初にファンに報告する姿勢や、そのためにウエディングドレスを着用するところなど、ファンを大切にする林原の優しさが伝わる放送でもあった[27]。このウエディングドレスは、佐久間レイ日のり子が過去に着用したものを受け継いだものだった。

1999年、『名探偵コナン』で灰原哀を担当。灰原哀役に林原をキャスティングしたのは、原作者である青山剛昌の弟が『新世紀エヴァンゲリオン』のファンだったことから[要出典]。

1999年6月、自らの裁量で仕事を行うため、それまで所属していたアーツビジョンを退社し、個人事務所であるウッドパークオフィスを設立した。

2002年10月、フジテレビ系列の『世にも奇妙な物語』2002年秋の特別編の一話、「声を聞かせて」では篠原みゆき役で声だけであるが初のドラマ出演となった。

2004年1月、自身のラジオ番組で妊娠を発表。6月に女児を出産。これらは当時Yahoo! JAPANのニューストピックスや各スポーツ新聞などでも報道された。出産に際して6月と7月の2か月間は産休をしており、『ポケットモンスター』のムサシ役は平松晶子、ラジオ番組は保志総一朗や日高のり子が代行した。

声優としてのキャリアは豊富であり、女性ではローティーンからハイティーンの可愛らしく活発な役、まったく対照的に寡黙で神秘的な役、さらにクールな大人の役まで幅広く演じているほか、少年役や動物役なども器用にこなす[注 8]。作品を深く読み込んで、「キャラクターの設定や人物像を自分に呼び込む」という役作りから、自身を「イタコ声優」と呼んでいる[28]

将来の夢として、「おばあちゃんになったときに、おばあちゃんの声を演じることかな。それまでは1年に1本でもいいから、とにかく、この仕事に関わっていきたいですね」と、長く声優の仕事を続けていきたいことをインタビューで答えている[29]

アニメージュ』で開催されているアニメグランプリ声優部門にて、通算12回に渡りグランプリを受賞している[注 9]


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