1986年、看護学校・声優養成所在籍中に『めぞん一刻』第1話の幼稚園児B[8]・近所の女役でアニメデビュー(アフレコ作業およびアニメ登場では近所の女役(声のみ)の方が早いが、多くのプロフィールや本人の発言では幼稚園児B役がデビューとされている[5])。ただし、アニメ以外では『めぞん一刻』よりも前に「徳間書店9月の新刊」に関するCMや「横山やすしが出演する番組」のナレーションを担当していたと発言している[21]。デビュー以降しばらくは、音響監督の斯波重治、声優の先輩である神谷明や千葉繁などの指導を受けながら多くのモブキャラクターに声をあてて実力をつけていく。養成所時代の講師でもあった千葉繁については、自身のエッセイ『林原めぐみのぜんぶキャラから教わった 今を生き抜く力』の中で、「(めぞん一刻のアフレコでは)隣に座らせていただき、アドバイスも受けながら(中略)OKをいただけました」と、千葉への感謝を綴っている[22]。
1988年、『魔神英雄伝ワタル』の忍部ヒミコで自身初のメインキャラクター役を獲得。第1話のアフレコ作業が看護学校の卒業式と重なってしまったために、新人ながらにして抜き録りを行うという出来事もあった。また、この時期は他に3本のレギュラーの仕事(『おそ松くん』『燃える!お兄さん』『いきなりダゴン』)が決まっており、それらをこなした空き時間に看護婦として個人病院でアルバイトをこなす生活を送っていた[注 6][23]。その後、監督や先輩の助言もあり、並行させてきた看護婦のアルバイトを辞めて声優業に専念した。
1989年、『らんま1/2』の女らんまを担当したが、オーディションでは天道あかね役で受けていた[11]。上記の忍部ヒミコも含め、1980年代の終わりには既に主役級のキャラクターを数多く演じるようになっており、以降の人気の足掛かりとなった。
1990年、東京都多摩市にサンリオピューロランドが開園。以降、同園その他ほとんどの作品でハローキティの声を4代目声優として担当。そのほか、この年はNHK教育番組『ともだちいっぱい』のソラミ( - 1995年)や国際花と緑の博覧会の花ずきんちゃんなど、マスコットキャラクターの声を多く担当した。ハローキティの声優であることは自分の口からは発表できないらしく、ラジオなどでは「白い猫さんの付き人をしてきました」と言葉を濁している[24]。キティ役は2023年までの33年にわたり担当し、同年をもって降板となった[25]。降板の際にはブログにて長年担当していたことを公表している[25]。
1995年、『新世紀エヴァンゲリオン』で綾波レイ、『スレイヤーズ』でリナ=インバースを演じる。特に綾波レイは、それまで活発な役を演じることの多かった林原にとっては異色のキャラクターでもあり、大きな話題となった。
1997年、『ポケットモンスター』でロケット団のムサシのほか、同シリーズで数多くのポケモンの声を担当。