板橋区
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東西は北部で約7.1km、南部で約4.5km、南北は東部で約6.7km、西部で約3.4kmあり、南東から北西に長い地形。北は埼玉県に接しており、関東ローム層が隔絶に厚くなっている。[要出典]

武蔵野台地と荒川低地の境をなす崖線が、小豆沢 - 志村 - 中台 - 西台 - 赤塚にかけて区の中央部をほぼ東西に貫き、付近は高低差に富み、坂道が多く作られている。前野町・中台・西台地区では、若木通りを尾根筋とする形で、すりばち状の谷戸(やと)地形が見られ、かつては、各所で地下水が湧き出ており、薬師の泉(小豆沢3丁目)、出井の泉跡(泉町)などにその名残が見られる。また、見次公園(前野町4丁目)の池は、自然の湧水によって形成されたものである。

地質

現在の板橋区に相当する地域は、およそ12万年前の
間氷期には海面上昇により、海の底にあったと考えられている。武蔵野(成増)礫層の下の、東京層と言われる地層から貝化石が発掘されているが、これはおよそ15万年前のもので、この地域が当時海底であったことを物語っている。およそ10万年前から気候の寒冷化により海面が後退、陸地化が起こり、武蔵野台地(成増台)の原型が形成された。その当時の武蔵野台地は、古荒川や古多摩川、後に古利根川などが流れる氾濫原(はんらんげん)であったと考えられている。武蔵野(成増)礫層の砂利は、当時の川が積み残した川砂利である。その後さらに寒冷化・海面後退が進行したことにより、川の流れが氾濫原を掘り下げ、およそ10万年前から氷期最盛のおよそ2万年前までの間に、連続した崖地が形成された。およそ1万年前に氷期が終わると海面がやや上昇し、崖地の下部では川から運ばれてきた堆積物が今日の荒川・新河岸川沿いの低地を形成。一方、崖地の上部には富士山などから飛来した火山灰(関東ローム層)が堆積し、今日の武蔵野台地辺縁の高台地域を形成するに至ったと考えられている。

主な河川:荒川新河岸川白子川石神井川出井川(暗渠化)、前谷津川(暗渠化)、蓮根川(暗渠化)、千川上水(暗渠化)

主な湖沼:浮間ヶ池

地盤は強固で、首都直下地震が起きた場合23区で最も安全と言われている[2]

気候

基本的には東京都心と同じ、温暖湿潤気候に該当し、日本国内における気候区分は太平洋側気候に属する(詳細は東京都の気候を参照)。ただ都心より郊外に位置するため最低気温は、ヒートアイランド現象の影響が小さく、都心より2℃から4℃低い。夏は都心のヒートアイランド現象の熱が東京湾の海風に運ばれ、最高気温が2℃から4℃ほど高い。また、板橋区内でも最低気温が板橋地域より赤塚地域では1℃ほど低い。因みに最低気温は、東京都心さいたま市の中間の場合が多い。
歴史

地名の由来や
安土桃山時代以前については板橋郷を参照。

1932年昭和7年)以前については板橋町上板橋村志村赤塚村を参照。

板橋区設立当時は、現在の練馬区も含む広大な地域であり、田畑地が多く、「東京の満州」とも呼ばれていた。

平安時代石神井川にかけられていた板橋が当時としては珍しかったため、そのまま地名になったという説が有力である。江戸時代以降は中山道が下板橋を通るようになったためにそちらを指すようになった。板橋宿江戸四宿のうちのひとつであり、中山道の江戸を発ってから最初の宿場町加賀藩下屋敷があった。

年表

1932年(昭和7年)
10月1日東京府北豊島郡板橋町、上板橋村、志村、赤塚村、練馬町上練馬村中新井村石神井村大泉村の9町村が東京市に編入、左記9町村の区域をもって板橋区となる。

1935年(昭和10年):田園区画の整理に伴い、板橋三丁目(旧・板橋町大字中丸字中原、現・南町)と豊島区長崎東町三丁目(旧・長崎町大字長崎字高松、現・高松二・三丁目)の間で境界変更。

1939年(昭和14年):田園区画の整理が完了し、板橋三丁目(旧・板橋町大字中丸字中原、現・南町)と豊島区高松町二丁目(旧・長崎町大字長崎字前高松、現・高松二丁目)の間で境界変更。

1943年(昭和18年)7月1日東京都制施行により東京府と東京市が合併し東京都が誕生、東京都板橋区となる。

1947年(昭和22年)5月3日地方自治法施行、板橋区は22特別区のひとつとなる。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキソースに東京都板橋区の中練馬及石神井両支所の所管区域を分け練馬区設置の内務省告示文があります。

1947年(昭和22年)8月1日:旧・練馬町、上練馬村、中新井村、石神井村、大泉村のほぼ全域及び小竹町(旧・上板橋村大字上板橋字小竹)、江古田町(旧・上板橋村大字上板橋字江古田、現・旭丘)を練馬区として分区。

1948年(昭和23年)2月10日:区内の営団住宅の住民など800人が食中毒を発症。原因は配給された大豆粉。4人が死亡[3]

1950年(昭和25年)4月1日埼玉県北足立郡戸田町(現・戸田市)大字上戸田の一部約0.2平方キロメートルが移譲され、舟渡三丁目(現・四丁目の一部)となる。

1951年(昭和26年)8月:第一回いたばし花火大会が開催される。

2008年平成20年)10月30日:観光キャラクター(ゆるキャラ)として、区花の二輪草をモチーフにした「りんりんちゃん」を採用。

2012年(平成24年)7月26日:「板橋区オフィシャルロゴ」および「区制施行80周年ロゴマーク」を制定。デザインしたのは区内に事務所「ドーンデザイン研究所」を置く、工業デザイナー・水戸岡鋭治九州旅客鉄道の各車両のデザインなどで知られる)[4]

町名

板橋区では、全域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。以下は住居表示実施後の町名と、当該住居表示実施直前の旧町名の一覧である。旧町名の後に「(全)」と注記したもの以外は当該旧町域の一部である。「板橋区の町名」も参照
板橋区役所管内

板橋区役所管内(9町丁)町名町区域新設年月日住居表示実施年月日住居表示実施前の町名など備考
.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}
板橋(いたばし)一丁目1965年1月1日板橋町1(全)、板橋町2・5・6・8
板橋二丁目1965年1月1日板橋町1(全)、板橋町2・5・6・8
板橋三丁目1965年1月1日板橋町1(全)、板橋町2・5・6・8
板橋四丁目1965年1月1日板橋町1(全)、板橋町2・5・6・8
稲荷台(いなりだい)1970年10月1日稲荷台(全)町名成立は1957年、直前は板橋町7・10、志村清水町
加賀(かが)一丁目1965年1月1日板橋町6?8
加賀二丁目1965年1月1日板橋町6?8
本町(ほんちょう)1970年10月1日本町(全)町名成立は1956年、直前は板橋町10、志村清水町
仲宿(なかじゅく)1970年10月1日仲宿(全)町名成立は1957年、直前は板橋町5・6・8・10

仲町区民事務所管内

仲町区民事務所管内(25町丁)町名町区域新設年月日住居表示実施年月日住居表示実施前の町名など備考
仲町(なかちょう)1971年1月1日仲町(全)町名成立は1959年、直前は板橋町9、上板橋町1
大谷口(おおやぐち)一丁目1971年10月1日大谷口1・2(全)町名成立は1959年、直前は大谷口町、向原町
大谷口二丁目1971年10月1日大谷口1・2(全)町名成立は1959年、直前は大谷口町、向原町
大谷口上町(おおやぐちかみちょう)1971年10月1日大谷口上町(全)町名成立は1959年、直前は上板橋町1、板橋町4、大谷口町


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