松重豊
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当初は映画演劇を製作する側を志すが、状況劇場天井桟敷など舞台を多く観劇して演技に感動し、自らも俳優を目指す。1983年(昭和58年)に新宿小劇場「スペースデン」で初舞台を踏み、三谷幸喜が主宰する東京サンシャインボーイズの作品に在学中から参加する。

1986年(昭和61年)3月に大学を卒業して蜷川幸雄が主宰する劇団「蜷川スタジオ」に入団する[3]1989年に退団し、国内外の舞台、テレビドラマ、映画、VシネマCMナレーションなどに多数出演した。困窮から嫌気がさし、1年以上俳優を休業したが[4]、蜷川スタジオの同僚勝村政信やザズウ社長の松野恵美子らから激励を受け復帰した。1992年平成4年)に黒沢清監督ホラー映画地獄の警備員』で主演に抜擢され[5]バイプレーヤーとしてドラマなど起用される。

2012年(平成24年)1月に『孤独のグルメ』(テレビ東京)の井之頭五郎役で連続テレビドラマに初主演[3][6]し、当たり役となった。

2018年(平成30年)10月に『サンデー毎日』(毎日新聞出版)で初のエッセイ「演者戯言(えんじゃのざれごと)」を毎月第1火曜日の号で連載開始する。

2019年令和元年)10月に『ヒキタさん! ご懐妊ですよ』で映画初主演[3]北川景子と歳の差夫婦役で、不妊の原因を抱える主人公を演じる[7]

2020年(令和2年)10月に初の短編小説『愚者譫言』(ぐしゃのうわごと)とエッセイを収録した書籍『空洞のなかみ』を発売し[8]、書籍発売前に重版が決定する。書籍発売に関連して公式YouTubeチャンネルを年9月に公開する[9]
人物
名前

大相撲大関初代豊山時津風部屋)から採ったと親から聞く[10]好角家としても知られ、力士は時津風部屋2代目豊山(元小結)を好む。中学3年時に、相撲雑誌『相撲1977年12月号(ベースボール・マガジン社)「君と話そう」で2代目豊山と対談企画に抽選で選ばれ、1977年(昭和52年)九州場所で豊山と対談する[10][11]

身長

誕生時は
病院で最大の子供で、学童時は整列すると後ろから2番目だった[12]

身長は190センチメートル (cm) であったが、年齢を経ると188cmになった[13][14]

学生時代

学生時代は運動、特に
格闘技系を好み、中学時は相撲の力士になりたかった。柔道二段で「払腰」を得意技[15]とする。

職歴

役者休業当時は、
建設会社の正社員で現場作業員[16]として勤めた。

好みのタイプ

清楚な人」、「一生懸命頑張る子」である。例示として、「女子マラソンなんかみてると涙出てくるんです。汗と涙を流して最後まで走る子なんかみると、もうたまりませんね。」と語っている[17]

座右の銘

座右の銘は「その日ぐらし」である[18]。かつて演じた経験を持ち込まず「引き出しを持たずに全部捨てて、次に集中して臨むように」常に初心を忘れないとする信条の反映である[19]

家族

父親は
が入ると暴力が絶えず、『巨人の星』の星一徹のようにちゃぶ台をひっくり返す人であったが、松重にとっては日常茶飯事の光景であったこともあり「普通の家庭に育った」と述懐している[20]

は10代からの付き合いで「友人でもある」存在[12]

息子松重暢洋TBSラジオのディレクター[21]


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