文楽(人形浄瑠璃)や歌劇(松竹歌劇団、大阪松竹歌劇団(現在のOSK日本歌劇団))、直営の演芸(浅草松竹演芸場、道頓堀角座、神戸松竹座等)から相撲興行やプロ野球(セ・リーグ加盟の松竹ロビンス)、ボウリング、アイススケートリンクの運営等幅広い活動を行い、一時は明治期からのお雇い外国人、アウグスト・ユンケルを指揮者として松竹交響楽団なる本格的なオーケストラまで所有していた(戦時中は「大東亜交響楽団」と改称したが戦後に自然消滅)。1995年には創立100年事業の一環として松竹大船撮影所の敷地内に「鎌倉シネマワールド」なるテーマパークを開業させたが、不入りでわずか3年で閉鎖に至った。
また、メディア対策として、東宝や大映(のちの角川書店)等と共にフジテレビジョン(フジテレビ)の会社設立に参加(1959年開局)。なお、現在はフジテレビ旧会社法人の後身に当たるフジ・メディア・ホールディングス株式の殆どを放出している反面、松竹大株主の10位以内にTBSテレビの名が連なる(後にTBS〈旧東京放送〉旧会社法人の後身に当たるTBSホールディングスと資本業務提携)など放送局との関係に変化が見られる(フジ・メディア・ホールディングスは認定放送持株会社である)。一方では通信衛星を利用した自社製作の番組(映画、テレビドラマ、劇場中継等)を中心に流す「衛星劇場」「ホームドラマチャンネル」「BS松竹東急」等を立ち上げている。
2005年、創業110年を記念した女優発掘オーディション松竹STAR GATEを歌舞伎座で開催。
沿革
1895年 大谷竹次郎が京都阪井座を買収し、その興行主となる(松竹ではこれを創業起源としている)。
1902年 大谷竹次郎が兄・白井松次郎と共に、松竹(まつたけ)合名会社を設立する[† 1]。
1912年9月 「松竹女優養成所」を作り、女優の募集を開始。1期生に東愛子、常盤操子、和歌浦糸子、富士野蔦枝、住の江蘭子、可知喜代子、伊達京子、河原月子、渡君江、[小坂きみ子など20名。
1920年2月 松竹キネマ合名会社を設立。映画製作を開始。
1920年11月 帝国活動写真株式会社を設立する。
1921年 帝国活動写真株式会社を松竹キネマ株式会社と改称し、同時に松竹キネマ合名会社を合併する。
1923年5月17日 大阪松竹座開場。
1925年 現在の丸の内ピカデリーの前身となる『邦楽座』を開場。
1930年3月 東京劇場開場。
1931年 日本で初めての本格的トーキー『マダムと女房』を上映する。
1937年 松竹キネマと松竹興行(ここまで読みは共に「まつたけ」)を統合し、松竹(しょうちく)株式会社を設立する。
1949年 東京証券取引所、大阪証券取引所、名古屋証券取引所、福岡証券取引所上場。
1950年 札幌証券取引所上場。
1951年 日本初のカラー映画『カルメン故郷に帰る』を上映する。
1956年9月15日 東京都中央区築地に本社ビルとなる松竹会館完成。映画館『松竹セントラル』開業。
1984年10月6日 有楽町マリオン9階に丸の内ピカデリーが2館体制となって移転オープン。
1987年10月3日 有楽町マリオン新館5階に丸の内松竹(現:丸の内ピカデリー ドルビーシネマ)がオープン。
1993年 CS放送局の衛星劇場を開局。
1995年 鎌倉シネマワールドを開業。
1997年 松竹マルチプレックスシアターズによるシネマコンプレックス「MOVIX」展開開始。当時専務の職についていた奥山和由によりシネマジャパネスクプロジェクトが開始。衛星劇場のチャンネル名が同名称に変更される。
1998年1月 奥山融社長と奥山和由専務が取締役会で解任され、松竹から事実上追放となる。シネマジャパネスクプロジェクトが終焉。10月1日に衛星劇場に名称が戻る。12月15日 鎌倉シネマワールドを閉鎖。
1999年 松竹会館の閉鎖・解体に伴い、本社機能を東劇ビル内に移転する。
邦画興行におけるブロック・ブッキング体制を廃止、洋画を含めたフリー・ブッキング興行に移行する。
2000年6月 大船撮影所を閉鎖し敷地を鎌倉女子大学に売却。傍系会社としての京都撮影所は残存するものの、製作開始後78年目にして直営の製作機能を停止した。また、映画製作者連盟に加盟する映画会社で唯一首都圏に撮影所を持たない会社となった。
2008年 名古屋証券取引所上場廃止。
2009年 配給と共同製作を手がけた邦画『おくりびと』が米国アカデミー賞外国語映画賞を受賞。外国語映画賞が独立した部門になり、ノミネート方式になってから日本映画で受賞したのは初めて。
2011年 直営の映画興行部門をシネマコンプレックス運営子会社の松竹マルチプレックスシアターズに譲渡。
3月 - 京都撮影所を「株式会社松竹撮影所」と改称。大船撮影所の閉鎖以降東京本社に設立されたセクションである「新撮影所準備室」を統合する。
2016年1月20日、コンピレーションアルバム「松竹120周年 映画音楽集」を発売[5]。
2022年4月 - 東京証券取引所の市場区分見直しに伴い、市場第一部からプライム市場へ移行。
2024年1月25日、株式会社TBSホールディングスとの資本業務提携に合意する[6]。
松竹女優養成所1期生の東愛子
同1期生の和歌浦糸子
同1期生の富士野蔦枝
同2期生の林千歳
主要映画「松竹の映画作品の一覧」を参照
歴代社長
1920年 - 1925年:大谷竹次郎
1925年 - 1936年:白井松次郎
1936年 - 1954年:大谷竹次郎
1954年 - 1960年:城戸四郎 - 大谷竹次郎の娘婿
1960年 - 1962年:大谷博 - 大谷竹次郎の娘婿