松田聖子
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10月1日、長女・神田沙也加を東京飯田橋の東京逓信病院で出産[27]。
12月、『第28回日本レコード大賞』で『SUPREME』がアルバム大賞を受賞。1年ぶりにステージに立ち、アルバムから3曲をメドレーで歌唱。続いて『第37回NHK紅白歌合戦』にも出場[27]。
1987年
4月、約2年ぶりのシングル「Strawberry Time」リリース。結婚・出産を経てもアイドル人気は衰えず、“ママになったアイドル”という意味の「ママドル」と呼ばれる。
4月、写真集『Five Seasons』(篠山紀信/撮影)出版。
4月23日、「Strawberry Time」でTBS『ザ・ベストテン』最後のスポットライトを獲得(2年ぶりの出演)。ランクインは次々週まで待つ事になる。
6月4日、「Strawberry Time」でTBS『ザ・ベストテン』最後の1位を獲得。
5月 - 6月、コンサートツアー『SEIKO SUPER DIAMOND REVOLUTION』開催(8か所15公演)。
9月、TBS特別企画ドラマ『スイート・メモリーズ』主演。
1988年
2月14日、東京都目黒区の自由が丘にブティック「フローレス・セイコ」(Flawless Seiko) をオープン[27]。「フローレス (Flawless)」とは (宝石が)傷のない、完璧な という意味で、ダイアモンドの最高級を表す[27]。(※2014年11月1日に「felicia club by Seiko Matsuda」に店名を改名しリニューアルオープン)
3月、CBS・ソニー・ゴールドディスク大賞受賞。
4月28日、「Marrakech?マラケッシュ?」でTBS『ザ・ベストテン』最後の出演[27]。
5月 - 9月、コンサートツアー『Sweet Spark Stream』開催(19か所25公演)映画監督・根岸吉太郎が演出を手がける。
9月、26枚目のシングル「旅立ちはフリージア」で24曲連続チャート1位獲得。
10月27日、「旅立ちはフリージア」でTBS『ザ・ベストテン』最後のランクイン(10位)。
12月、『第39回NHK紅白歌合戦』に「Marrakech?マラケッシュ?」で9年連続出場。80年代最後の紅白出演となった。
1989年
6月30日、所属事務所「サンミュージックプロダクション」との契約を満了。独立し、個人事務所「ファンティック」に籍を置く。
9月、写真集『NO COMMENT』(篠山紀信/撮影)出版。
12月 - 1月、コンサートツアー『Precious Moment』開催(6か所14公演)
1990年代
1990年
5月、シングル「THE RIGHT COMBINATION」(USA) で、「New Kids On The Block」のDonnie Wahlbergとデュエット。
6月、アルバム『Seiko』で全米デビュー、アメリカでは『USマガジン』や『インターセクト』で特集される。またイギリスのTV-amの朝のワイドショー番組『Good Morning Britain』(1990年8月)[44]、BBCテレビにも出演し、世界中のメディアに登場。
1992年
2月、ブティック「フローレス・セイコ」が4周年を迎え、記念イベントが行われ2,000人のファンが詰めかける。
3月25日、初の聖子自身による全曲作詞作曲プロデュースアルバム『1992 Nouvelle Vague』発売。先行シングルは、自身初の主演連続ドラマTBS『おとなの選択』の主題歌「きっと、また逢える…」。この年から本人による作詞作曲プロデュースによる楽曲発表が主体となっていく。
6月 - 7月、コンサートツアー『1992 Nouvelle Vague』開催(10か所16公演)。
12月、初のクリスマスディナーショー(4か所8公演)を開く。
1993年
6月 - 7月、コンサートツアー『DIAMOND EXPRESSION』開催(16か所24公演)。
12月、クリスマスディナーショー開催(全国13か所21公演)。
1994年
たかの友梨ビューティークリニックのイメージキャラクターに選ばれ、「ヌーディッシュ宣言」と題した本人の巨大広告やTVCMが話題となり、ワイドショーやマスコミなどで「第2次聖子ブーム」と騒がれる。
6月 - 8月、コンサートツアー『Glorious Revolution』開催(19か所28公演)。
12月、クリスマスディナーショー開催(10か所21公演)。
1995年
6月 - 8月、コンサートツアー『It's Style '95』開催(23か所33公演)。
12月、クリスマスディナーショー開催(全国8か所22公演)。
1996年
5月にハリウッドとの合作作品となる主演映画『サロゲート・マザー』が公開。主題歌「I'll Be There For You」を同曲の提供者でもあるロビー・ネヴィルとデュエットする。
5月発売米誌『BIKINI』でセミ・ヌードを披露。
再び全米進出を目指すため、デビュー以来所属したソニーレコードを離れ、「マーキュリー・ミュージックエンタテインメント」に移籍。
6月10日、全米進出第2弾となる「WAS IT THE FUTURE」を発売する。
シングル「あなたに逢いたくて?Missing You?」が8年ぶりのオリコンシングルチャート1位、売り上げ110万枚とミリオンセラーを突破し、自身最大のヒットとなる。
6月、コンサートツアー『Vanity Fair』開催(21か所39公演)。
12月、クリスマスディナーショー開催(8か所20公演)。
1997年
1月、神田正輝と離婚。離婚のニュースは、芸能報道の枠を超えて各局とも一般ニュース枠でも報じ、号外が出された。神田との離婚後も、学業半ばの娘の姓が変わらないようにするため婚氏続称を選び、民法上は神田姓であった。
6月 - 7月、コンサートツアー『My Story』開催(13か所26公演)。
12月、クリスマスディナーショー開催(全国8か所22公演)。
1998年
5月、6歳年下の歯科医師と交際2か月で結婚。会った瞬間「ビビビッと来た」というコメントが流行語になり、「ビビビ婚」などと呼称された。
6月 - 11月、コンサートツアー『Forever』開催(全国8か所22公演)(広島及び福岡公演は急病のため延期となった)。
12月、クリスマスディナーショー開催(全国8か所21公演)。
1999年
マネージメント事務所を「ファンティック」からソニーのプロデューサーであった若松宗雄が代表を務める「グリーンパークミュージック」に移籍。
10月、事務所移籍の諸事情で武道館他全国アリーナ会場の使用予約をとる事ができなかったため、初のライブハウス・ツアー『Zepp Tour』開催(4か所9公演)。
12月18日、11年半ぶりに作詞家に松本隆を起用したアルバム『永遠の少女』を発売する。なお先行シングルの「哀しみのボート」は、フジテレビ系で放送されたテレビドラマ『OUT?妻たちの犯罪?』の挿入歌となった。
12月、クリスマスディナーショー開催(11か所17公演)。
2000年代
2000年
7月 - 8月、コンサートツアー『SEIKO MATSUDA CONCERT TOUR 2000』開催(9か所16公演)。
9月、かつて交際していた郷ひろみとのデュエット曲「True Love Story」発表の話があり受諾・発表し世間を驚かせる。
12月、二度目の離婚。
12月、クリスマスディナーショー2000開催(12か所18公演)。
2001年
3月、初のスプリングディナーショーを開催する(全国9か所17公演)。
6月 - 8月、コンサートツアー2001『LOVE & EMOTION』開催(全国13か所23公演)。
11月 - 12月、クリスマスディナーショー開催(全国12か所)。
2002年
ソニー・ミュージックエンタテインメントに復帰。
芸能事務所「グリーンパークミュージック」から「ファンティック」に再移籍。
3月11日、ダイヤモンドのように最も輝く女性として『ダイヤモンド・パーソナリティー賞』を受賞し1000万円相当のダイヤを授与される。
6月21日、全米進出第3弾となる『area62』をHIP-O RECORDSより全米にて発売。
毎年恒例となっている夏のコンサートツアーには、発売されたアルバムタイトルがそのままツアータイトルになる事がほとんどだが、02年には国内でのアルバム発売がなかったために『Seiko Matsuda Concert Tour 2002 Jewel Box』と題したコンサートツアーが開催され約15万人を動員する。
11月 - 12月、クリスマスディナーショー2002開催(全国15か所20公演)。
12月31日、この年から2003年まで、大阪城ホールで年末のカウントダウン・ライブを行う。BS中継もされた(2005年以降は東京体育館で開催)。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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