松田優作
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また、角川とは毎年、
赤坂
の
フグ料理
屋で2人だけの忘年会を行い、最後の〆にフグ雑炊を松田が、自分の手で作るのが恒例だったという
[30]
。
ロバート・デ・ニーロ
は映画『ブラック・レイン』での松田の演技を絶賛、共演したいと松田にオファーを出したが、亡くなった事を知り落胆したという話がある。
一日100本以上の
ヘビースモーカー
であった。しかし、尊敬する渡哲也が「大都会PARTII」の撮影で出番以外禁煙を始めた事を受け、優作自身は禁煙まで行かなかったが一日15本まで減らしたという。
1980年
(昭和55年)
4月29日
放送の『
徹子の部屋
』に出演した際は、飲酒、喫煙しながらトークをおこなった
[31]
(もっとも、当時同番組において同様の例は他のゲストでも多く見られた)。
長らく
CM
出演を固辞していた松田初めてのCMは、
1982年
麒麟麦酒
「キリンライトビール」が最初だが
[32]
、1976年の『
曽根崎心中
』以降、役者付いていた
宇崎竜童
が
原田芳雄
と親しくなり、弟分の松田とも親しくなっていた1982年に大手
広告代理店
から、宇崎・原田・松田の3人が共演するCMを作りたいと依頼された
[32]
。今でこそ
知名度
の高い
タレント
が複数登場するCMは当たり前だが、当時の業界の常識は、知名度が高いタレントが単独で登場するからこそインパクトが強いと考えられていて、複数の芸能人が共演することはなく、その常識を覆すCMであった
[32]
。松田も原田芳雄もCM出演はそれまでなく、麒麟麦酒が
アメリカ
では
シェア
50%以上を占める「ライトビール」がこれからは日本でも主流となるだろうと先読みし、思い切ったCMをやりたいと考案したものであった
[32]
。しかし宇崎に送られて来た
絵コンテ
を見ると『
8時だョ!全員集合
』のような
コント
そのものの内容
[32]
。演出サイドが意外性を狙い過ぎているのは分かったが、原田と松田がこれに同意するとは思えないし、まあ企画会議の席上で異を唱えればいいか、と宇崎は考えて、原田と松田には連絡しなかった
[32]
。すると企画会議の前日(当日の)深夜2時過ぎに宇崎宅へ電話があり、松田が地の底から響くような声で「おい!殺すぞ!!」と宇崎に言った。激怒しているときの松田に取り付く島もないことを宇崎も承知しているため、言い分を聞くと、宇崎は絵コンテを承諾したと制作サイドに伝えられており、「明日の企画会議であんたを殺す。それがイヤだったら、屈強な
ボディガード
を3人ほど用意しておくんだな!」と捨て台詞を残し一方的に電話を切った
[32]
。企画会議では宇崎の無実が明らかになり、松田は何10枚も自分で書いてきた絵コンテを次々と繰り出し熱意のある
プレゼン
を展開した。企画会議終了後に松田は宇崎に「オレの誤解でした。本当に失礼なことを言って申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げて謝罪した
[32]
。同CMは
鈴木清順
の演出で1982年夏に
ハワイ
ロケが行われたが、
タキシード
の衣装が暑すぎて撮影の合間に冷房の効いたロケバスで休んでいた。すると隣のロケバスのカーテンの隙間から熟睡している
プロデューサー
の姿が見えた。スタッフにも自分と同じ熱量を求める松田は「あの昼寝野郎…」と呟き怒りを露わにした。この時は何とか収まったが、CM本編の撮影が全て終了し、ポスター撮影の段階になった時、またまた松田が独自案を披露した。これが制作サイドとは正反対の内容で、一から
ロケハン
をやり直さなければならないものだった。松田が熱く説明をしていると、先の昼寝プロデューサーが面倒くさそうに「分かりましたよ」と適当にあしらったことで松田は激怒し、テーブルを乗り越えて対面に座っていたプロデューサーを
平手打ち
、さらに
カメラマン
にも「あんたも同じだ!」と続けざまに平手打ちをした
[32]
。完成したCMは好評を博し、続編の声も上がったが、平手打ちをされたカメラマンがこの後「暴行事件」として
週刊誌
に暴露し、続編はなくなった
[32]
。
2009年
(平成21年)、松田優作本人が穿いていた
ジーンズ
をイメージして作られた特製ジーンズ(股下38インチ、左フロントポケットはライターの定位置だったために四角形に色落ち)が20回忌となる
11月6日
にフルカウントより発売された。
吉田拓郎
のファン
[33]
。
家族
劇団仲間であり、後に『
完全なる飼育
』などの代表作を持つ
作家
・
松田美智子
と
1975年
(昭和50年)
9月21日
に結婚。長女が生まれるも、
女優
・熊谷美由紀(現・
松田美由紀
)との
不倫
が原因で
1981年
(昭和56年)
12月24日
に離婚。美由紀とは『
探偵物語
』の共演で出会い、「今まで見たことが無いエキセントリックな女だ」と衝撃を受け、「この女から離れられない」と感じたという。龍平出産後の1983年に結婚。
美由紀との間に、順に長男・
龍平
、次男・
翔太
、長女・
Yuki
[34]
[注釈 9]
がいる。また、翔太の妻でモデルの
秋元梢
の父親は元大相撲力士で第58代横綱の
千代の富士貢
であり、優作と千代の富士が双方没後に翔太と梢は結婚しているが、千代の富士とは親戚関係である。
出演
映画
1973年
(昭和48年)
狼の紋章
、
東宝
、監督:
松本正志
- 羽黒獰初映画出演作にして主人公の敵・羽黒獰役を射止めている。
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