松沢呉一
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名簿業者からリストを購入、返信用切手同封の上、協力者にはテレフォンカードを送るなどしたため、経費が膨大となり、松沢のギャラが削られることになったが、その後データを自由に使っていいとの条件であったために、ノーギャラでもメリットがあると考えた[8]

1993年5月22日には、日本青年館オウム真理教の専属オーケストラであるキーレーンのコンサートを鑑賞。麻原彰晃作曲とされる曲が意外に面白く驚いたが、オーケストラの団員は指揮者を見ず、まとまりに欠けると批評。この当時のロシアは、長年宗教が抑圧されていたため、オウム真理教は信徒数を大幅に伸ばし、宗教の入れ食い状態であり、自由の象徴ですらあるとも述べている。このコンサートの後で、出家前にはアサ芸の元ライターだった広報担当者と食事をするが、「坂本弁護士はどこへ行った」などと尋ねる。この際には、坂本弁護士一家失踪事件はオウムの仕業ではないと考えていた[8]1995年以降のオウム真理教事件については、前年の松本サリン事件を教訓に、オウムに対しても慎重な態度を取るべきだと主張した。そのため、実際に殺害の対象とされていた小林よしのりや、切通理作に「オウムの手先」と非難された。また、切通は『宝島30』で、松沢の本名を挙げて非難している。小林に非難された宅八郎鈴木邦男師一彦?秀実西岡昌紀らと共に、のちに反論本『教科書が教えない小林よしのり』を出している。

2000年代に入ると風俗の体験取材を元に、風俗ライター、エロライターとしてトップエロの地位を確立、『ヤンナイ』などの連載他、多数の著書を刊行した。

なお、他の「風俗ライター」との違いとして、松沢は風俗を楽しみながらも、「フィールド・ワーク」として行っている点が、大きく異なる。

また、セックスワーカーたちの人権擁護運動にも参加しており、1999年『売る売らないはワタシが決める』を編著刊行し売買春反対論者を批判した。

2001年には、まんだらけから、赤田祐一と2人の苗字を並べた、コンセプチュアル・リビドー・マガジン『あかまつ』を創刊する予定だったが降板。

2005年に風俗ライターは廃業としているが、現在、有料メルマガ「マッツ・ザ・ワールド」配信の他、『実話ナックルズ』、『スナイパーEVE』、『お尻倶楽部』などに連載。また、セックスワーカーたちの擁護運動には、引き続き関わり続けている。

近年は「中国及び中国人問題」に凝っており、中国語を学習している。「チベット問題を右翼だけが攻撃し、左翼側が攻撃しないのはおかしい」と主張している。

著書は多数あるが、本人は以前より、「自分は飽きっぽい性格で、すでに書き終わった原稿には興味がなく、それを本にまとめるより、新しい原稿を書きたい。生活のために仕方なくやっている」と語っている。

文章を書くのが早いことでも有名で、雑誌の連載などは、何ヶ月も先の回まで書いてしまうこともある。それでもさらに書きたいことが沸いてくるので、雑誌に書けないことを、かつてはミニコミ『ショートカット』誌上で、現在は自身の有料メルマガに書いている。

2008年5月21日東京スポーツ(11頁)では"現在は古い文献から、社会現象や風俗を探求することを専門とする"と語っていた。2009年には、長年のエロ関係書籍のコレクション(それは「軽く万冊単位」だという)を基にした『エロスの原風景 江戸時代?昭和50年代後半のエロ出版史』を刊行した。

2011年の福島第一原子力発電所事故後は、脱原発デモに積極的に参加。デモを「申請を出せば誰でもできる」と評価し、各人が好きなやり方でデモを行えばよいと説いた[9]

2011年6月11日開催の、素人の乱主催「6.11 新宿・原発やめろデモ!!!!!」で、右翼団体・統一戦線義勇軍針谷大輔が登壇することになったが、人権団体「ヘイトスピーチに反対する会」が登壇阻止を要求した[10]。また、それ以外のスタッフにも針谷登壇に反対する者がいたことから、素人の乱は針谷の登壇を取り消し、登壇させようとしたことを詫びた[11]。松沢は、針谷排除を不当として、「ヘイトスピーチに反対する会」とその同調者を強く批判した。さらに「ヘイトスピーチに反対する会」が在特会[注 3]と、民族派でも針谷ら在特会を批判する者、さらに「福島でこんな災いを受けねばならない理由は、日本人は世界に誇れる民族だから」と発言した者[注 4]も同類のレイシストと見なしたことを批判[12]し、左翼に「ヘイトスピーチに反対する会」への同調者が少なくなかったことを嘆いた。

その後は、朝木明代(東村山市議会議員)の転落死をめぐり、創価学会による謀殺であるとする説を主張した瀬戸弘幸と激しく対立したのを契機に、瀬戸や行動する保守を批判するようになり、野間易通らと共に「ヘイトスピーチに反対する会」とその同調者を「ヘサヨ」と批判する一方、首都圏反原発連合や、在特会批判では、野間らの属するレイシストをしばき隊(C.R.A.C.)と活動を共にし(隊員ではない)、出版不況と相まってすっかりライター稼業は鳴りを潜めている。

2013年末には、「品切れ・増刊予定なし」となっていた、ちくま文庫版の『ぐろぐろ』を、盛岡・さわや書店が700冊を買い切ることを申し出て、増刷された[13]
主な論争.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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独自研究が含まれているおそれがあります。(2014年8月)


雑多な内容が羅列されています。(2014年8月)


論争についてはかなり粘着的なところがある。

1995年ごろ、同じ「古本系ライター」であった唐沢俊一と、青林堂ガロ誌に連載していたコラムをめぐりトラブル。唐沢がロフトプラスワンのイベントやニフティのフォーラムで松沢を非難。これに対し松沢が抗議文を送り、ロフトプラスワンでの公開討論を提案するが唐沢は討論に使用されるビデオについて著作権上の理由をあげてこれを断る、松沢からはビデオ使用は引用であり著作権法上問題がないと指摘される。唐沢は松沢との直接対話を拒み、メールなどの文章での反論に終始した[14]

同じく1995年ごろ、オウム真理教をめぐって小林よしのり、切通理作らと論争。この論争は膨大な参加者を巻き込んでおり、松沢が関わったのはその一部に過ぎない。また、『宝島30』の上田高志編集長は「切通理作と丸田祥三は宝島社が育てたようなところがあるから、守ってやらなければならない」と切通に便宜を図ったことから、松沢は上田も強く批判している。詳細は『教科書が教えない小林よしのり』参照。

2000年、かつては連載をもっていた『』誌の編集長、篠田博之と論争。

2000年、『売る売らないはワタシが決める』を出した後、『週刊金曜日』で売買春反対論のトロツキスト・森田成也と誌上討論を行った。売買春否定論を唱えていた小谷野敦は投書し、売春防止法があるから娼婦は差別されるという松沢の論は間違いだと指摘。すると松沢の同志で「人権ファシスト」を名乗る佐藤悟志が投書して、小谷野はレズビアン差別発言をしたことがあると個人攻撃、同一人の投書は二カ月できないため、小谷野は同誌に抗議し、再反論を載せた。また「絶望書店主人」が、小谷野の『江戸幻想批判』における近世娼婦の平均寿命は23歳という記述を疑わしいとして論争になったが、2002年松沢は、本多勝一の雑誌『あれこれ』でこれをとりあげ、「だから売春はいけないというのだ」と記して反論したが、これはこの論争を見た別人による文章で、小谷野の主張ではなく、小谷野は編集部に抗議。松沢は、誤読だとしたが、編集部ではみな、小谷野がそう主張したと信じていたといい、小谷野に謝罪する意向を示したが、松沢が激怒、謝罪はされなかった。その後小谷野は売春必要悪論に転換し、『日本売春史』を上梓したが、松沢は読みもせずにネット上で論難した。

オカマ」は差別か論争

2001年6月15日号の『週刊金曜日』に東郷健についての記事「伝説のオカマ 愛欲と反逆に燃えたぎる」が掲載されたことに端を発する論争。


2007年から2008年にかけて、多摩レイクサイドFMを主催している、矢野穂積東村山市市議2名の活動を自身のサイト上で批判。


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