松江騒擾事件
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岡崎は同年11月に釈放されたが、飯島与志雄が結成した尊攘同志会に直ちに参加、特別高等警察から要注意人物としてマークされ続けた。島根県松江市に帰郷したのちは昭和維新運動の指導的人物として活動を続ける一方で、勤労動員署傭員となった[14][16]。岡崎が太平洋戦争の内実をみることになったのは、この勤労動員署勤務時の体験による[17]

この勤労動員署で岡崎は「要注意人物」という人物像とは全く別人と考えられるような行動をとった[16]。「軍需工場への徴用は個々の事情を考慮して行うべき」という自身の考えから、家庭の事情などで徴用免除の嘆願に来る人々の相談に乗り、自分の責任で免除していった。その結果署長と考えが衝突し、呉海軍工廠へ行く女子挺身隊員75人を1週間以内に選出せよとの命令を受けた。岡崎は人選のため身上書を調べると「地位の高い有力者の令嬢はなぜか徴用されていない」という事実に気づいた。そして松江地裁所長や同検事正の令嬢らを女子挺身隊員として選出、令嬢らが女子挺身隊となることを地元新聞にリークして大きく報道させた。勤労動員署署長や検事正はこれに激怒し岡崎を恫喝したが、岡崎は引き下がらなかった。しかしこの女子挺身隊員が出発する2日前、岡崎は大阪府へ出張を命じられた。出張から戻ると女子挺身隊員はすでに出発し、有力者令嬢の徴用は取りやめになっていた。岡崎は勤労動員署に辞表を提出し、大日本言論報国会島根支部に入った[18]
大日本言論報国会島根支部・深田屋旅館別館での謀議

1945年(昭和20年)4月、岡崎は大日本言論報国会島根支部(以下、報国会島根支部)に入った。当時は東京大空襲硫黄島の玉砕などが発生し、戦局はさらに絶望的となっていた。「神州不滅」「一億玉砕」が流行語となり、日本国民は本土決戦に向け動員されていた。島根県では敵上陸に対する武器として、高等女学校生には千枚通しの常時携帯が決定され、子どもには少年用竹槍が配布された[19]

報国会島根支部は、松江市内の和田珍頼弁護士事務所の一室と、深田屋旅館(松江市殿町、「深田旅館」とする資料もある[20])別館2階を事務所としていた。この旅館は、報国会島根支部長である桜井三郎右衛門(当時満41歳)の常宿でもあった。岡崎は尊攘同志会と連絡を取りつつ、波多野安彦(尊攘同志会所属)、長谷川文明(当時24歳、大東塾所属)、森脇昭吉(島根県立農業技術員養成所所属)、白波瀬登らと、敗色の濃い戦局に焦り「昭和維新・一斉決起」を謀議していた。支部長の桜井は決起に際して、民間だけではなく軍隊との連携も提案したが、岡崎はこれに反論した。連絡を取る余裕はなく、民間から立ち上がれば軍も追従するとして昭和維新の捨て石となるべきと述べた。この考えが波多野や長谷川など若い世代からの支持を得た[21]
日本の終戦から事件発生まで

1945年(昭和20年)8月15日の正午、昭和天皇による玉音放送によってポツダム宣言の受諾が国民に伝えられた。翌8月16日付『島根新聞』社説では、これを「休戦の詔勅」と伝えた。国民に「国体の護持」を告げた鈴木貫太郎内閣は総辞職し、17日には東久邇宮内閣が発足した。政治的激動を迎えるなか、島根県知事であり島根県国民義勇隊本部長でもある山田武雄は15日に告諭を発し、内省・痛恨の銘記と、自暴自棄や嫉視で一億同胞に亀裂が生じないよう県民に求めた。翌日16日には「祖国復興」「皇国の復興」のために県民の結束を勝ち取るという目的から「県民指揮方策大綱」を決定し、その冒頭では「今次外交折衝の経過、内容及び戦争終結の止むなきに至った事態を出来る限り県民に発表」するという方針が掲げられた。また3・5・6項では県民自身の内省に基づいた戦争責任の分有を求め、他者への敗戦責任追及の遮断と天皇への臣従を求めていた。このように県当局が秩序維持に動いている一方で、軍当局も県民に対して引き締めを行っていた。17日、小川松江地区司令官は「休戦の大詔を拝したといってあたかも和平が訪れたように考えたり、また憶測に基づく流言飛語に迷うことは危険である」とし、「大詔の趣旨に沿って講和条約が結ばれるまでは敢闘精神を堅持しなければならない」と語った[22]

この8月15日の終戦を前後して、軍隊の内部では宮城事件霞ヶ浦航空隊厚木航空隊の抗戦呼びかけ・基地占拠などの動きがあり、また民間では愛宕山での尊攘同志会会員の立てこもり・自爆があった。これらはいずれも22日までには鎮圧されたが[23]島根県松江市では8月17日から19日にかけて、隣県の鳥取県美保航空隊基地から飛来した海軍機が「断固抗戦」のビラを撒き、市内にも「ソ連打倒・聖戦完遂」の張り紙がなされた[24]。また鹿足郡柿木村では20日、新村長選任に際して本土決戦が意識されている[25]東京・大阪などの空襲の惨状をみれば、日本に戦争遂行の能力がなかったことはあきらかだが、このような戦災を受けなかった山陰地方では、本土決戦はまだ可能かにみえた。そのことが、事件発生の素地のひとつになっている[26]
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