松本明子
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中山のナベプロ入寮時に最初に出会った所属タレントが、風呂上がりで全裸で出てきた松本だった[32]。中山とはすぐに馬が合い、以降の寮生活では毎晩のように彼と会話を楽しむなど交流を深めた[33]。時には諸事情により寮の女風呂が使えず、彼と一緒に男風呂の湯船に浸かったこともある[4]

四文字事件の頃、「ABブラザーズ」としてブレイクして一躍スターになっていた中山から心配されており[34]、先述の国立駅前のベンチで悩む姿も目撃されている[注釈 8]。後日、中山から「姉さん、歌手班は居心地悪いでしょ。僕のいるバラエティ班に来ない?[注釈 9]」と誘われたことで、バラエティ班となった[26]。後日「この時、中山さんが導いてくれなかったら、とっくに四国に帰っていたと思う」とインタビュー[34]に答えている。

ただし、いきなりバラエティタレントになるのは大変なため、まずはABブラザーズの営業先に同行して前座で歌うことから始めた[26]。それ以外の日は、バラエティタレントとなるための練習[注釈 10]を中山と行い、努力の末バラドルという新しいジャンルを切り開くこととなった[33]

このため本人にとって、中山は芸能界での恩人である[33]。また中山との関係について本人は、「友達というより姉弟みたいな感じ。タレントとしてはライバルでもあるので、お互いに張り合いながらこれまで頑張ってこれた」と評している[35]。またプライベートでも、結婚の報告を最初に伝えたり、子供が生まれた時は中山家からベビー用品一式を借りるなどしている。他にもお互いに色々と相談事を聞き合うなど、信頼関係はその後も続いている[35]
その他

趣味は、料理、節約[2]、登山[4]

特技は、茶道、ピアノ、手芸[2]、節約料理 さぬきうどん作り[1]

高松に住んでいた頃にNHKの『NHKのど自慢』に出場したことがある[注釈 11]。その直後、ビクターレコードから「演歌歌手になりませんか?」と声をかけられたが、後日その人が急逝したためこの話はなくなった[4]

高校2年次(芸能コース)の同じクラスには、堀ちえみ早見優がいた[26]。四文字騒動以後の高校生活では、親切心から同級生アイドルたちのために色々と世話をした。一例として、堀の上靴がファンの生徒に盗まれたと知った時は不憫に思い、購買部で代わりの上履きを買って下駄箱に入れてあげたことがある。また定期テスト前には、授業に来られない複数の同級生アイドルたちのためにテスト範囲をまとめた紙を作り、FAXで各芸能事務所に送っていた[4]

謹慎中だった1986年、「読売巨人軍原辰徳選手(当時)が“松本明子”と結婚」と報じられた。この女性は同姓同名の別人だったが、当時松本は地元の友人や親戚から「よくやった」、「でかした」などとお祝いの電話をもらい、その都度別人と説明した[3]

日本テレビのあるスタッフは、ある日フジテレビの『ものまね王座決定戦』で松本と松村邦洋の絡みトークを見て「この2人の組み合わせは面白い」と感じた。これにより松本と松村は、日本テレビの新番組『進め!電波少年』のMCとして起用が決まった[注釈 12]

『ラジオビバリー昼ズ』では当初、高田文夫は「松本典子と共演する」と思っていたため、スタジオで松本明子の顔を見た途端ズッコケたという[3]

『進め!電波少年』で話題となった企画として、1995年2月の「アラファト議長とてんとう虫のサンバをダジャレたい!」というもの[注釈 13]がある。当時紛争地帯であるガザ地区へ向かい、パレスチナ自治政府初代大統領を務めたヤーセル・アラファートと日本の芸能人で初めて本人に直接接触した。その後2004年にアラファートが死去した際、日本の要人以外ではナオト・インティライミ(2003年)[注釈 14]と並んで当人と接触した人物として話題となった[36]

家ではほぼ全裸。夫も息子も呆れているが「仕方ないよね」と諦めている。息子の服を着たり私生活ではあまり贅沢はしない。
家族や実家など
家族・親族
松本家
曾祖父・松本善六は
三重県出身の薬売り[37]。祖父・松本昌次は陸軍大佐第153師団歩兵第441連隊(敦賀)連隊長を務め、戦後は地元丸亀の足袋の企業「おふく足袋」でセールスマンの仕事に就いた[37]。なお、その際の社員印が、2022年4月1日放送の「学校では教えてくれないそこんトコロ」にて見つかった。父・松本昌昭(2003年に死去)は立命館大学で土木を専攻し、卒業後は香川県庁に務め、後に民間の会社に転職をした[37]。母の千恵子(2007年に死去)の祖母は金刀比羅宮の門前町で芸者をしていた[37]。明子には10歳年上の兄がいる[38]
親戚
夫の本宮との出会いは、本宮の実兄である原田龍二がテレビドラマで松本と共演した際、撮影現場へ本宮を連れてきたことから。その日の撮影終わりに3人でお茶をすると原田はすぐに帰ったが、話の流れで本宮に「ウチに来る?」と誘った。これにより松本と本宮でお互いの家に訪れると、親たちから「2人が結婚前の挨拶に来た」と勘違いされた。この結果、本人たちもお互い異性として意識するようになり、短期間で結婚が決まった[21]。原田は戸籍上義兄にあたるものの4歳年下であり、ドラマでの共演経験も多いことから「姉さん」と呼ばれ慕われている。タレントでブロガー原田愛義姉。YouTuberの平井一徹は甥。ゲームクリエイターの中村光一は従兄にあたる[39]
実家

1972年に父はこだわりを持って高松市に家を建て[注釈 15]、松本は6歳から中学卒業までをここで暮らした[40]。上京後27歳の時に両親を東京に呼び寄せると、父は兄(松本から見て伯父)の承諾を得た[注釈 16]上で娘に実家を相続させる手続きをした[注釈 17]。本人はとりあえず実家の維持費を払い始めたが、2003年に父が亡くなる前に「実家を頼む」と告げたため“遺言”と感じ、金銭的負担を感じながらも維持費を払い続けた[40]

2017年に「実家の片付け」をテーマにした番組出演が転機となり、家を手放すこと(実家じまい)を決意[注釈 18]。その後実家の購入者が見つかり売買契約が成立したが、以後3ヶ月間は両親の遺品を含めた膨大な数の家財道具の整理・処分作業に追われた[40][注釈 19]。2018年に家を売却して実家じまいを終えたが、それまでの25年間でかかった維持費など[注釈 20]の総額は、約1800万円にのぼった[注釈 21]
出演
バラエティ・情報番組 ほか

うるとら7:00 (1987年 - 1990年、日本テレビ


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