松本孝弘
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Martin #000-18

など

松本 孝弘(まつもと たかひろ、1961年〈昭和36年〉3月27日 - )は、日本ギタリストミュージシャン作曲家編曲家音楽プロデューサー。主に「Tak Matsumoto」(タック・マツモト)という名義を使用している[3]。所属事務所はVERMILLION。所属レーベルはVERMILLION RECORDS

ロックユニット[4]B'zギタリストであり、リーダーも務める。B'zとしての活動に並行してソロ作品や、他アーティストへの楽曲提供やギター演奏での参加も行なっている[5]。1999年からはギブソンから世界で5人目[注 1]、日本人では初となるギブソン・レスポールのシグネチュア・アーティストに選ばれている[5]。2010年に発売したラリー・カールトンと共演したアルバム『TAKE YOUR PICK』が、『第53回グラミー賞』最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバムを受賞した[6][7]
人物

大阪府豊中市出身。中学3年時の誕生日に両親からビートルズの『ザ・ビートルズ1967年?1970年』をプレゼントされると、学校から帰宅後はずっと聴いていた[8]。父親は声楽をやっており、母親はクラシック好きであった[9]。ある日、ディープ・パープル紫の炎」のレコードを掛けていると母親が「この曲いいじゃない?」と言って来たので松本の音楽を理解していたと考えている[9]。初めて買ったギターはギブソン・レスポールジミー・ペイジと同じモデル(色は赤いサンバースト)。グレコによるレプリカであった[8]。買ったその日からプロを目指していたと述べている[10]。当時憧れていたのはジミー・ペイジやリッチー・ブラックモアであり、マイケル・シェンカースティーヴ・ルカサーもコピーした。特に、スティーヴ・ルカサーについてはセッションマンとしての参加作品についてもフォローするほどに入れ込んでいた[11]。高校時代に組んでいたアマチュアバンド「スーパーイマージュ」でテレビ東京系『ロックおもしロック』に出演したこともある[12]

B'zとしてデビュー後しばらくの間は自身はA型の牡羊座で几帳面さと雑なところ両方を持ち合わせた性格であると思っていたが[13]、実際はO型であることがわかると大雑把でいいと思うようになったという[14]。1996年に稲葉浩志がソロ作品の制作を行っている間、松本は英語を勉強するため3ヶ月間サンディエゴ留学した[13]

2018年にはB'zのデビュー30周年を記念したエキシビジョン『B'z 30th Year Exhibition "SCENES" 1988-2018』において、これまでライブで使用してきたギターアンプ用スピーカーキャビネットのシークレットオークションを実施し、その落札金額のすべてを松本の「音楽を志す学生を応援したい、自分に続くミュージシャンの育成に繋がれば」という意向を踏まえ、出身地である豊中市の市文化芸術振興基金へ寄付している[15]。2020年、上記の寄付や『B'z SHOWCASE 2017 -B'z In Your Town-』を豊中市での開催、成人式へのメッセージ、広報とよなか『リレーエッセー』への寄稿などの功績から『豊中市名誉市民』に選定された[16][17][18]
音楽性「B'z#音楽性」も参照
演奏スタイル

松本のギター演奏において最も特徴的なものとしてトーン(音色)が挙げられ、本人も「今回(TMG活動時)のジャックにしてもエリックにしても今まですごいギター・ヒーローたちと一緒に仕事をしてきてるじゃないですか。やっぱり音色のことは言いますよね。僕のプレイ、たとえば『速弾きがすごい!』なんて誰も言わない。もうね、スーパー・プレイを目の当たりにしてきてる人たちだからね、『TAKはトーンだよ』ってみんな言う。それは最高の褒め言葉だと思ってますよ[19]。」、「自分の一番のポイントはやっぱりトーンだから。決して技術的に凄いわけではないので、僕の場合はこの音色……トーンがやっぱり絶対なんですよね。だからチョーキングしてビブラートした感じがいちばんのポイントだと自負しています[20]。」と述べている。また、マーティ・フリードマンも自著にてギターの音を聞いただけで誰が弾いているのかがわかる日本のギタリストとして布袋寅泰Charとともに松本の名を挙げている[21]。その他には、音楽評論も手がけるミュージシャンの近田春夫が、1998年発売の『考えるヒット』という本においてB'zの「Calling」を取り上げた際、松本のギターに関して、「それにしてもこのギター、世界レベルで良い音(フレーズ等を含む)」と高く評価している。
作曲

松本が生み出す楽曲は、メロウなバラードポップなものからハードな楽曲、ブルースまで幅広く、メロディアスなものが多い。1stアルバム『Thousand Wave』はヘヴィメタル調でテンポの速い曲が多く、B'z初期の作品でも打ち込みを多用したデジタルサウンドであったが、次第にハードロックの要素を出していった。また、アジア特有の音階を用いたオリエンタルなメロディの楽曲も見受けられ、アルバム『』やB'zの「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」などがある。
来歴

高校入学とともにギターを始めている。ハンドボール部に所属していたが、幽霊部員であった。一方、軽音楽部を立ち上げて「スーパーイマージュ」というバンドを組んで音楽コンテスト、ライブハウス、学園祭などに出演していた。高校卒業後に車の免許を取得してからの約2年間は、車にのめり込んでギターを弾かない時期があった[22][23]。ある先輩からは「ギターをちゃんとやったほうがいい」と度々アドバイスを受けていたという[22]。その後はミューズ音楽院に入学し、コード進行など音楽の基礎理論を一から学び直した。当時からギターの技能は高く、講師に実践での演奏を勧められ音楽院を中退した。その後、自身のバンド「マクベス」のデモテープをきっかけに音楽事務所「ビーイング」に所属し、セッション・ギタリストとしてプロでの活動が始まった。スタジオ・ミュージシャンのほか、楽曲提供やコンサートのサポート・ギタリストも務めており、これらの活動では浜田麻里TM NETWORKのレコーディングやコンサートに参加した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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