松平頼雄_(西条藩嫡子)
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頼雄は和歌山の感應寺に葬られており、安永5年(1776年)には紀州藩9代藩主徳川治貞が参墓しており、寛政5年(1793年)3月からは10代藩主治宝が名代による墓参を始め、文化3年(1806年)5月には和歌山城内に邦安社を建立して頼雄の祭典を執行し、天保6年(1835年)からは紀州藩においては頼雄を西条松平家の嫡子として扱うこととなった[4]

戒名は「本地院殿守玄日得大居士」。墓所は和歌山の感應寺、位牌堂は田辺の本正寺、供養塚は御坊の九品寺。

頼雄を祀る邦安社は、幕末に日前宮(日前神宮・國懸神宮)へ遷座し、末社邦安神社となっている。
死後の扱い

安永5年(1776年)に宗直の子・徳川治貞が和歌山に入部したが、その年から毎年公然と頼雄の墓を訪問した。その後、頼雄の嫡子としての地位が回復され、文化3年(1806年)にその「冤魂」を慰めるため和歌山の邦安社が創建された。
脚注^ 妻は頼純長女の於留天姫。
^ 西条藩主は江戸定府であった。
^ 1714年8月という説は間違いである。
^ 小山、2011年

参考文献

小山誉城「徳川宗直の藩政」2011年(『徳川将軍家と紀伊徳川家』精文堂出版)

演じた俳優

寺泉憲 : 『八代将軍吉宗』(NHK大河ドラマ、1995年) - 本作での頼雄は「不遇をかこつあまり隠れキリシタンになり、一時期はそれが廃嫡の理由とされた」と、史実と全く異なる設定にされた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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