戒名は「本地院殿守玄日得大居士」。墓所は和歌山の感應寺、位牌堂は田辺の本正寺、供養塚は御坊の九品寺。
頼雄を祀る邦安社は、幕末に日前宮(日前神宮・國懸神宮)へ遷座し、末社邦安神社となっている。 安永5年(1776年)に宗直の子・徳川治貞が和歌山に入部したが、その年から毎年公然と頼雄の墓を訪問した。その後、頼雄の嫡子としての地位が回復され、文化3年(1806年)にその「冤魂」を慰めるため和歌山の邦安社が創建された。
死後の扱い
脚注^ 妻は頼純長女の於留天姫。
^ 西条藩主は江戸定府であった。
^ 1714年8月という説は間違いである。
^ 小山、2011年
参考文献
小山誉城「徳川宗直の藩政」2011年(『徳川将軍家と紀伊徳川家』精文堂出版)
演じた俳優
寺泉憲 : 『八代将軍吉宗』(NHK大河ドラマ、1995年) - 本作での頼雄は「不遇をかこつあまり隠れキリシタンになり、一時期はそれが廃嫡の理由とされた」と、史実と全く異なる設定にされた。