松平清武
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領地は、常陸国真壁、下総国相馬郡、豊田郡、武蔵国埼玉郡、相模国鎌倉郡・高座郡・愛甲郡の内に及ぶ。

宝永4年(1707年

1月11日 - 松平の苗字を称することを許され、上野国邑楽郡内に1万石を加増され、上野国館林2万4000石の藩主となる。また、出羽守に遷任。

12月23日 - 従四位下に昇叙。出羽守如元。

この年、館林歴代城主の盛衰について『館林盛衰記』に著す。


宝永6年(1709年

12月 - 下野国内に1万石加増。

12月18日 - 侍従兼任。


正徳2年(1712年

2月16日 - 兵部大輔に転任。侍従如元。

12月 - 越後国内に2万石加増。計5万4000石となる。


正徳3年(1713年)12月19日 - 右近衛将監に遷任。侍従如元。

脚注^ a b c講談社 日本人名大辞典』には、(別名ではなく)初名として順に「吉忠」→「清宣」と名乗っていたとする記述がみられる(こちらも参照)。
^ 母は父綱重の継室・紅玉院とされる。1673年 - 1673年。実在すれば清武の異母弟となる。
^ 外部リンク参照

外部リンク

川島勘左衛門「享保年間における館林騒動
」(館林郷土史談館 編『館林郷土叢書 第4輯』館林図書館、1940年)











越智松平家初代当主(1707年 - 1724年)


清武1707-1724

武雅1724-1728

武元1728-1779

武寛1779-1784

武厚(斉厚)1784-1839

武揚1839-1842

武成1842-1847

武聰1847-1873

武修1873-1919

武親1920-1933

吉修1933-1977

武龍1977-2007

武剛2007-現在










越智松平家館林藩初代藩主 (1707年 - 1724年)
榊原家

榊原康政1590-1606

榊原康勝1606-1615

榊原忠次1615-1643

陸奥白河藩に転封

大給松平家

松平乗寿1644-1654

松平乗久1654-1661

下総佐倉藩に転封

館林徳川家

徳川綱吉1661-1680

徳川徳松1680-1683

一旦、廃藩

1683年から1707年まで公儀御料
越智松平家

松平清武1707-1724

松平武雅1724-1728

松平武元1728

陸奥棚倉藩に転封

太田家

太田資晴1728-1734

摂津周辺に転封。一旦、廃藩

1734年から1740年まで公儀御料
太田家

太田資俊1740-1746

遠江掛川藩に転封

越智松平家

松平武元1746-1779

松平武寛1779-1784

松平斉厚1784-1836

石見浜田藩に転封

井上家

井上正春1836-1845

遠江浜松藩に転封

秋元家

秋元志朝1845-1864

秋元礼朝1864-1871

廃藩置県


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