松岡洋子_(声優)
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なんの不審も抱かず、肩車でいい気持ちだったが、一方、両親はいないことに気づいて大騒ぎで「ようこォー、ようこォー」と大声で探しはじめていた[2]。その声が、偶然、耳に入り、無邪気に「ハーイ」と500メートルぐらい離れていたところ、その男性、あわてて、降ろし、走って逃げだしてしまったという[2]。あの時、ちゃんと誘惑されていたら、大金持ちの家でお嬢さんとして育てられていたりしていたんだと語る[2]

小学校の頃から習い事が好きであり、合唱団等に入っていたが、当時は運動が好きでオリンピック選手志望で、「絶対、なんかの種目でオリンピックに出るんだ」と思っていたという[2]

中学ぐらいから、ピアノ声楽を習っていた関係上、漠然と音楽関係に進もうと考えていたが、当時住んでいた東京都港区青山から東村山市に転居し、高校3年生のギリギリまで進学するつもりだった[2]

東京音楽学院のスクールメイツに入り[11]芸能界に入った経験があった[2]

本格的には活動するきっかけは都心から西武線に乗り、落合駅で見つけた俳協養成所[11]の募集の看板を何回か見ているうちにフラフラーッと「お芝居かなんかかじってみようかナァ」と考えて、明星高等学校卒業[6]前後で同養成所の1期生として入所[2]。同期によこざわけい子がいる[2]

たくさんの生徒の中から選ばれ、第一回俳協制作のミュージカルドラマ北杜夫原作『船乗りクプクプの冒険』の主役、クプクプ少年役に当てられ、全国を巡演することになり、主役の少年役にすることに誰からも反対意見は出なかったという[10]

当初は舞台女優として活動していたが、1977年の『若草のシャルロット』以降は声優業を中心に活動[12]。一時、俳協ミュージカルのステージの仕事が多くなったり、テレビドラマに出演しており、アニメの仕事に集中できない時期もあったという[10]。初レギュラーは1978年の『おれは鉄兵』の小畑役[2]。この時、スタジオで鉄兵役の野沢雅子からコマゴマと親切に指導してくれたという[10]。このことがとても倖せだったといい、1981年時点では野沢を誰よりも尊敬しているという[10]。初主演は1979年の『まんが猿飛佐助』の佐助役となる[10]

以前は東京俳優生活協同組合[13]に所属していた。

1996年から1998年まで放送された『ゲゲゲの鬼太郎(第4作)』にて、鬼太郎を演じた[14]同作品のテレビアニメにおいては3代目の鬼太郎[15]。役が決まったのはオーディションで、マネージャーが「松岡洋子だけはどうしてもやらせてくれ」と千方に言っていた[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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