芭蕉忍者説を検証した三重大学准教授の吉丸雄哉(国際忍者学会所属)は、芭蕉の身分についてはすでに父の代で農民となっているため伊賀者ではなく[43]、母も百地氏とは関連がないと指摘し[42]、『おくのほそ道』の行程についても『曾良旅日記』の記述から分析した結果、芭蕉が一日に歩いた距離は長くても当時の平均的男性のそれより3割増しという程度で一般人と変わらず、大変な健脚だから忍者とする見方は成立しないと述べている[41][42]。また、芭蕉はその死後半世紀にして神格化が進み逸話が多く創作されたが、速歩や隠形などの忍術を用いたエピソードは見当たらない点も重視すべきと注意を促している[41]。
吉丸は、芭蕉忍者説が広まった過程も調査しており、その初出は昭和41年(1966年)に松本清張と樋口清之が発表した共著『東京の旅』(光文社)で、以降は文芸評論家の尾崎秀樹が芭蕉の母の血筋も取り上げながら同説を幾度も唱えたことが確認できるとし[44]、昭和45年(1970年)の斎藤栄による推理小説『奧の細道殺人事件』(光文社)や昭和63年(1988年)?平成元年(1989年)の連続テレビ時代劇『隠密・奥の細道』(テレビ東京)といったフィクションも手伝う形で、昭和戦後の忍者ブームと組み合わさって人口に膾炙したと考察する[43]。吉丸は、芭蕉忍者説は結論ありきで反証可能性がなく[42]、「証明できない幽霊のような存在」[43]、「芭蕉にとっても忍者・忍術にとっても益のない発想である」[42]と厳しい評価を下している。ただし、『おくのほそ道』の同行者である曾良こそが忍者であるとする説に対しては、証拠がないものの蓋然性はあるとする[43][45]。
日本以外での芭蕉像など.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}が望まれています。
ウクライナの中学2年生の教科書には、2ページにわたって松尾芭蕉のことが書かれている[46]。
Sierra社のゲーム、「Swat 2」には、「バショー」と名乗り、英語のおかしな俳句を読むテロ組織の黒幕が登場する。
W.C.フラナガン名義の小林信彦の著作『ちはやふる 奥の細道』では上記の芭蕉隠密説に基づいた記述が見られる。ただし、旅の目的が佐渡金山の爆破であったり、それに水戸藩の隠密が絡んでいたりなど、史実とは全く関係のない独創的な記述が主である。
ロバート・クレイスの著作『モンキーズ・レインコート ロスの探偵エルヴィス・コール』(The Monkey's Raincoat) のタイトルは芭蕉の句「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」や蕉門の発句・連句集『猿蓑』に由来する。
芭蕉の句の1つ、花の雲 鐘は上野か浅草かの英訳であるThe clouds of flowers, Where is the bell from, Ueno or Asakusa?を来日経験のない英語圏在住者に読ませると人の死を悼む葬式の情景をうたった句と解されたとする記述がある[47]。
著作
『校本芭蕉全集』富士見書房(全10巻別巻1)
『松尾芭蕉集』小学館〈新編日本古典文学全集70・71〉
『芭蕉文集』、『芭蕉句集』 新潮社〈新潮日本古典集成〉、新装版
岩波文庫版は 『おくのほそ道 付曾良旅日記』(奥の細道)、『芭蕉俳句集』
『芭蕉俳文集』(上下)、『芭蕉紀行文集』、『芭蕉書簡集』、『芭蕉連句集』、『芭蕉七部集』
角川ソフィア文庫版は 『おくのほそ道』、『芭蕉全句集 現代語訳付』(雲英末雄ほか訳・校注)
『芭蕉書簡大成』、『芭蕉年譜大成』 今栄蔵編著、角川学芸出版
『全釈芭蕉書簡集』 田中善信、新典社注釈叢書11
『俳諧七部集』 白石悌三・上野洋三校注、岩波書店〈新日本古典文学大系70〉[注釈 2]
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