1978年にテレビ放送開始した『銀河鉄道999』のメーテル役にプロデューサーの横山賢二は松坂を考えていた[4]。
1980年代も『青春の門』、『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』、『蒲田行進曲』、『人生劇場』、『火宅の人』などの映画や、テレビドラマではNHK大河ドラマ『春の波涛』などの作品に立て続けに主演・出演した。この頃の松坂は深作欣二が監督する映画・テレビドラマに多く出演している。
1990年(平成2年)、松竹から島田事務所へ移籍。
1991年(平成3年)、ジャズギタリストの高内春彦(ハル高内)と結婚。1月2日、ニューヨークで挙式。当時、人気女優と無名に近く収入の少ない高内との結婚は「格差婚」と取り沙汰された。また、松坂の両親は結婚に大反対していることを隠さず、マスコミの取材を受け、松坂が公にしていなかった事実や様々な思いを吐露した。松坂名義の「実印」への執着が凄まじく、松坂が実印を持ち出したことをしきりに追及していた(のちに『娘・松坂慶子への「遺言」』を上梓するきっかけとなった)。夫の高内を庇っていた松坂であったが、ついには親子絶縁も宣言。結婚後、夫の活動拠点である米国ニューヨークに移住して7年ほど過ごした[1]。
フランス政府観光局の親善大使に選ばれた。[5]
1992年に長女、1994年に次女を出産した(2008年に中学生となった姉妹は、NHK教育テレビジョン「3か月トピック英会話「赤毛のアン」への旅?原書で親しむAnneの世界?」(2008年4月 - 6月)で松坂と共演した)[6][7]。長女を出産した際には、ニューヨークにいる共通の知人を通じて知った緒形拳からFAXが届き、毛筆で「ばんざい、ばんざい、ばんばんざい」と書かれてあった[8]。
2000年(平成12年)、東京電話のCMでは大根を持った主婦をコミカルに演じ、新境地を拓いた。
石原プロモーション主催「オロナミンC 一億人の心をつかむ男 新人発掘オーディション?二一世紀の石原裕次郎を探せ!?」審査員
2002年(平成14年)、なかにし礼原作・監修による写真集『さくら伝説 -松坂慶子写真集』を発表[9]。
2005年(平成17年)8月、大塚食品が発売した「ボンカレークラシック」のパッケージキャラクターを、松山容子から引き継いだ。ボンカレーのキャラクター変更は37年ぶり[10][11]。同年秋にはドラマ『熟年離婚』に主演。渡哲也演じる夫に離婚を切り出し、新たな人生を歩み出す主婦役を演じた。さらに同年12月30日放映のバラエティ番組『ウリナリ芸能人社交ダンス部』の兄弟特別番組「オールスター Shall we ダンス??有名人社交ダンス選手権?」では、ダイナミックな動きとキレのあるダンスを披露し、初出場ながら優勝した。
2007年、父の死去を機に母との確執も氷解。2012年からは高齢になった母と同居している[12]。夫は多忙な松坂に代わり、母の介護や家事を担っているという[13]。
2013年(平成25年)2月、日本テレビ開局60年特別番組 TV60 日テレ×NHK『60番勝負』・ドラマ対決で、NHKが制作した『松坂慶子 女優最後の日』の冒頭、松坂が登場したシーンにおいて3万8313「イィ」(番組内で視聴者からの反応を測る数値)を記録し、2日間にわたって放送された当番組内の最高値であった[14]。
同年、映画『牙狼-GARO- ?蒼哭ノ魔竜?』において、還暦にして初のアクションシーン・ワイヤーアクションをこなした。松坂自身、前々からやってみたいと思っていたが、それまで全く機会が無かったとの事[15]。
2018年には大河ドラマ『西郷どん』に出演し、自身の主演作『春の波涛』、初出演作でヒロイン濃姫を演じた『国盗り物語』や高い評価を受けた『篤姫』を含む9回の出演で最多出演女優記録の草笛光子に並んだ。その後草笛は『鎌倉殿の13人』に出演しているため、2番目となっている。
2023年にはNHK連続テレビ小説「らんまん」に主人公の祖母役で出演したが、その縁で同年12月に牧野記念財団の理事に就任した[16][17]。 父は1938年に韓国から日本へ仕事を求めて渡ってきており、その後兵庫県姫路市に移り住み、母と仕事場で出会った[18]。母は幼少の頃に身売りされた過去を持ち、身寄りのなかった2人は同棲するようになる。戦後、神奈川県藤沢市に転居し、父は複数の事業を始めて成功していた。 母には戸籍が無く、藤沢市に転居した際に清水という姓で戸籍をつくったが、これは実在しない韓国人の戸籍を借りたもので、母は本当は日本人なのに韓国人ということになっていた[19]。父も日本名を名乗っていたが国籍は韓国のまま、つまり慶子も韓国籍であった[19]。知人の力を借りて法務省と交渉した結果、1964年に母の戸籍が回復し、慶子の将来を考えて彼女を母の非嫡出子として母の戸籍に入れたことにより日本国籍となった[19]。これらの事実は1993年に出版された両親の著書『娘・松坂慶子への「遺言」』で公表された。
家族
受賞・受章
1972年:『若い人』制作者協会新人賞、第10回ゴールデン・アロー賞新人賞を受賞。
1973年:日本放送作家協会、女性演技者賞受賞。
1979年:『愛の水中花』日本有線大賞特別賞受賞。
1981年:『青春の門』、『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞、報知映画賞主演女優賞を受賞。
1982年:『蒲田行進曲』と『道頓堀川』で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、キネマ旬報主演女優賞、毎日映画コンクール主演女優賞、エランドール賞特別賞、第20回ゴールデンアロー賞大賞を受賞。
1986年:ゴールデングロス賞のマネーメーキング・スター賞受賞。
1989年:第一回ゴールデン・スター・オブ・ザ・イヤー賞受賞。
1990年:『死の棘』で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、キネマ旬報主演女優賞、毎日映画コンクール主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞、報知映画賞最優秀主演女優賞、日刊スポーツ映画大賞主演女優賞を受賞。第3回山路ふみ子女優賞受賞。