松坂慶子
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

1968年(昭和43年)、日本大学第二高校に進み、同校を卒業[1]。高校2年の1969年(昭和44年)、古賀政男ギター歌謡学院で週2回の歌のレッスンを受ける。同年、大映からスカウトされる[1]。『ある女子高校医の記録 続・妊娠』で女子高生の一人としてスクリーンデビュー(ただし、クレジットなし)。

1970年(昭和45年)、大映東京撮影所入社。TBSテレビ『おくさまは18歳』、『なんたって18歳!』レギュラー出演。

1971年(昭和46年)、映画『夜の診察室』で、主演予定だった渥美マリの降板により代役で映画初主演。12月に大映が倒産。

1972年(昭和47年)1月1日、松竹へ移籍[1]。1973年(昭和48年)、日大文理学部聴講生となる。NHK大河ドラマ国盗り物語』で濃姫を演じて広く知られた[1]1975年(昭和50年)、時代劇江戸を斬る』に出演。1978年(昭和53年)の映画『事件』では清純派からの脱皮を果たす。翌1979年(昭和54年)の映画『配達されない三通の手紙』でも体当たりの演技を見せ、トップ女優に躍り出た。同年放送のTBS系テレビドラマ水中花』に主演。また、同ドラマの主題歌愛の水中花」をリリースし、大ヒット。ドラマ劇中で披露した妖艶なバニーガール姿も話題となり、「愛の水中花」のレコードジャケットはその衣装を着用した写真であった。その衣装でTBSの音楽番組『ザ・ベストテン』にも出演した。

1978年にテレビ放送開始した『銀河鉄道999』のメーテル役にプロデューサーの横山賢二は松坂を考えていた[4]

1980年代も『青春の門』、『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』、『蒲田行進曲』、『人生劇場』、『火宅の人』などの映画や、テレビドラマではNHK大河ドラマ春の波涛』などの作品に立て続けに主演・出演した。この頃の松坂は深作欣二が監督する映画・テレビドラマに多く出演している。

1990年(平成2年)、松竹から島田事務所へ移籍。

1991年平成3年)、ジャズギタリストの高内春彦(ハル高内)と結婚。1月2日、ニューヨークで挙式。当時、人気女優と無名に近く収入の少ない高内との結婚は「格差婚」と取り沙汰された。また、松坂の両親は結婚に大反対していることを隠さず、マスコミの取材を受け、松坂が公にしていなかった事実や様々な思いを吐露した。松坂名義の「実印」への執着が凄まじく、松坂が実印を持ち出したことをしきりに追及していた(のちに『娘・松坂慶子への「遺言」』を上梓するきっかけとなった)。夫の高内を庇っていた松坂であったが、ついには親子絶縁も宣言。結婚後、夫の活動拠点である米国ニューヨークに移住して7年ほど過ごした[1]

フランス政府観光局の親善大使に選ばれた。[5]

1992年に長女、1994年に次女を出産した(2008年に中学生となった姉妹は、NHK教育テレビジョン3か月トピック英会話「赤毛のアン」への旅?原書で親しむAnneの世界?」(2008年4月 - 6月)で松坂と共演した)[6][7]。長女を出産した際には、ニューヨークにいる共通の知人を通じて知った緒形拳からFAXが届き、毛筆で「ばんざい、ばんざい、ばんばんざい」と書かれてあった[8]

2000年(平成12年)、東京電話CMでは大根を持った主婦をコミカルに演じ、新境地を拓いた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:338 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef