父は1938年に韓国から日本へ仕事を求めて渡ってきており、その後兵庫県姫路市に移り住み、母と仕事場で出会った[18]。母は幼少の頃に身売りされた過去を持ち、身寄りのなかった2人は同棲するようになる。戦後、神奈川県藤沢市に転居し、父は複数の事業を始めて成功していた。
母には戸籍が無く、藤沢市に転居した際に清水という姓で戸籍をつくったが、これは実在しない韓国人の戸籍を借りたもので、母は本当は日本人なのに韓国人ということになっていた[19]。父も日本名を名乗っていたが国籍は韓国のまま、つまり慶子も韓国籍であった[19]。知人の力を借りて法務省と交渉した結果、1964年に母の戸籍が回復し、慶子の将来を考えて彼女を母の非嫡出子として母の戸籍に入れたことにより日本国籍となった[19]。これらの事実は1993年に出版された両親の著書『娘・松坂慶子への「遺言」』で公表された。
受賞・受章
1972年:『若い人』制作者協会新人賞、第10回ゴールデン・アロー賞新人賞を受賞。
1973年:日本放送作家協会、女性演技者賞受賞。
1979年:『愛の水中花』日本有線大賞特別賞受賞。
1981年:『青春の門』、『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞、報知映画賞主演女優賞を受賞。
1982年:『蒲田行進曲』と『道頓堀川』で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、キネマ旬報主演女優賞、毎日映画コンクール主演女優賞、エランドール賞特別賞、第20回ゴールデンアロー賞大賞を受賞。
1986年:ゴールデングロス賞のマネーメーキング・スター賞受賞。
1989年:第一回ゴールデン・スター・オブ・ザ・イヤー賞受賞。
1990年:『死の棘』で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、キネマ旬報主演女優賞、毎日映画コンクール主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞、報知映画賞最優秀主演女優賞、日刊スポーツ映画大賞主演女優賞を受賞。第3回山路ふみ子女優賞受賞。
1991年 : フランス高級香水協会マドモアゼル・パルファム賞、第一回フランス政府観光局・女性親善大使賞
1998年:毎日映画コンクール田中絹代賞