韓国人の父と日本人の母との間に誕生。早産で未熟児だったという[1]。7歳下の弟がおり4人家族。「イングリッド・バーグマンのような綺麗な女性になってほしい」との両親の思いから、いくつもの習い事をかけもちしていた[3]。
1959年(昭和34年)、渋谷区立鳩森小学校入学。小学2年の1960年(昭和35年)、「くるみ芸術学園」に入り、歌唱科、ピアノ科、児童舞踊科を受講。1961年(昭和36年)、転居のため中野区立向台小学校に転校。NHK「声くらべ腕くらべ子供音楽会」で「からすの赤ちゃん」を歌い合格。中野区立第三中学では演劇部に所属。落語家の二代目快楽亭ブラックは中学時代の同級生であり、ともに演劇部に所属していた。
1966年(昭和41年)、中学2年の時に「劇団ひまわり」入団。1967年、幼児向けコメディ『忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ』(NET)でテレビ初出演。1968年、15歳の時に『ウルトラセブン』第31話「悪魔の住む花」(1968年5月5日放送)に、ミクロ怪獣ダリーに寄生された少女・カオリ(香織)役で出演。
1968年(昭和43年)、日本大学第二高校に進み、同校を卒業[1]。高校2年の1969年(昭和44年)、古賀政男ギター歌謡学院で週2回の歌のレッスンを受ける。同年、大映からスカウトされる[1]。『ある女子高校医の記録 続・妊娠』で女子高生の一人としてスクリーンデビュー(ただし、クレジットなし)。
1970年(昭和45年)、大映東京撮影所入社。TBSテレビ『おくさまは18歳』、『なんたって18歳!』レギュラー出演。
1971年(昭和46年)、映画『夜の診察室』で、主演予定だった渥美マリの降板により代役で映画初主演。12月に大映が倒産。
1972年(昭和47年)1月1日、松竹へ移籍[1]。1973年(昭和48年)、日大文理学部聴講生となる。NHK大河ドラマ『国盗り物語』で濃姫を演じて広く知られた[1]。1975年(昭和50年)、時代劇『江戸を斬る』に出演。1978年(昭和53年)の映画『事件』では清純派からの脱皮を果たす。翌1979年(昭和54年)の映画『配達されない三通の手紙』でも体当たりの演技を見せ、トップ女優に躍り出た。同年放送のTBS系テレビドラマ『水中花』に主演。また、同ドラマの主題歌「愛の水中花」をリリースし、大ヒット。ドラマ劇中で披露した妖艶なバニーガール姿も話題となり、「愛の水中花」のレコードジャケットはその衣装を着用した写真であった。その衣装でTBSの音楽番組『ザ・ベストテン』にも出演した。
1978年にテレビ放送開始した『銀河鉄道999』のメーテル役にプロデューサーの横山賢二
は松坂を考えていた[4]。1980年代も『青春の門』、『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』、『蒲田行進曲』、『人生劇場』、『火宅の人』などの映画や、テレビドラマではNHK大河ドラマ『春の波涛』などの作品に立て続けに主演・出演した。この頃の松坂は深作欣二が監督する映画・テレビドラマに多く出演している。
1990年(平成2年)、松竹から島田事務所へ移籍。
1991年(平成3年)、ジャズギタリストの高内春彦(ハル高内)と結婚。1月2日、ニューヨークで挙式。当時、人気女優と無名に近く収入の少ない高内との結婚は「格差婚」と取り沙汰された。また、松坂の両親は結婚に大反対していることを隠さず、マスコミの取材を受け、松坂が公にしていなかった事実や様々な思いを吐露した。松坂名義の「実印」への執着が凄まじく、松坂が実印を持ち出したことをしきりに追及していた(のちに『娘・松坂慶子への「遺言」』を上梓するきっかけとなった)。夫の高内を庇っていた松坂であったが、ついには親子絶縁も宣言。結婚後、夫の活動拠点である米国ニューヨークに移住して7年ほど過ごした[1]。
フランス政府観光局の親善大使に選ばれた。[5]
1992年に長女、1994年に次女を出産した(2008年に中学生となった姉妹は、NHK教育テレビジョン「3か月トピック英会話「赤毛のアン」への旅?原書で親しむAnneの世界?」(2008年4月 - 6月)で松坂と共演した)[6][7]。長女を出産した際には、ニューヨークにいる共通の知人を通じて知った緒形拳からFAXが届き、毛筆で「ばんざい、ばんざい、ばんばんざい」と書かれてあった[8]。
2000年(平成12年)、東京電話のCMでは大根を持った主婦をコミカルに演じ、新境地を拓いた。
石原プロモーション主催「オロナミンC 一億人の心をつかむ男 新人発掘オーディション?二一世紀の石原裕次郎を探せ!?」審査員
2002年(平成14年)、なかにし礼原作・監修による写真集『さくら伝説 -松坂慶子写真集』を発表[9]。
2005年(平成17年)8月、大塚食品が発売した「ボンカレークラシック」のパッケージキャラクターを、松山容子から引き継いだ。ボンカレーのキャラクター変更は37年ぶり[10][11]。同年秋にはドラマ『熟年離婚』に主演。渡哲也演じる夫に離婚を切り出し、新たな人生を歩み出す主婦役を演じた。さらに同年12月30日放映のバラエティ番組『ウリナリ芸能人社交ダンス部』の兄弟特別番組「オールスター Shall we ダンス??有名人社交ダンス選手権?」では、ダイナミックな動きとキレのあるダンスを披露し、初出場ながら優勝した。
2007年、父の死去を機に母との確執も氷解。2012年からは高齢になった母と同居している[12]。夫は多忙な松坂に代わり、母の介護や家事を担っているという[13]。
2013年(平成25年)2月、日本テレビ開局60年特別番組 TV60 日テレ×NHK『60番勝負』・ドラマ対決で、NHKが制作した『松坂慶子 女優最後の日』の冒頭、松坂が登場したシーンにおいて3万8313「イィ」(番組内で視聴者からの反応を測る数値)を記録し、2日間にわたって放送された当番組内の最高値であった[14]。
同年、映画『牙狼-GARO- ?蒼哭ノ魔竜?』において、還暦にして初のアクションシーン・ワイヤーアクションをこなした。