283年(西晋の太康4年)、遼東王司馬?が東?王に改封されると、東?国が置かれた。東?国は掖・当利・盧郷・曲城・黄・?の6県を管轄した[3]。
南朝宋のとき、東?郡は掖・曲城・?・盧郷・牟平・当利・黄の7県を管轄した[4]。469年(泰始5年)、北魏の慕容白曜が東陽を占領すると、東?郡は北魏の統治下に入った[5]。
北魏のとき、東?郡は光州に属し、掖・西曲城・東曲城・盧郷の4県を管轄した[6]。
583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、東?郡は廃止されて、光州に編入された。585年(開皇5年)、光州は?州と改められた。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、?州は東?郡と改称された。東?郡は掖・膠水・盧郷・即墨・観陽・昌陽・黄・牟平・文登の9県を管轄した[7]。
621年(武徳4年)、唐が?順を平定すると、東?郡は?州と改められた。742年(天宝元年)、?州は東?郡と改称された。758年(乾元元年)、東?郡は?州と改称され、東?郡の呼称は姿を消した[8]。
脚注^ 班固『漢書』地理志第八上。小竹武夫訳『漢書』3(ちくま学芸文庫、筑摩書房、1998年)、333-334頁。
^ 『後漢書』郡国志四
^ 『晋書』地理志下
^ 『宋書』州郡志二
^ 『魏書』慕容白曜伝
^ 『魏書』地形志二中
^ 『隋書』地理志中
^ 『旧唐書』地理志一
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