東芝
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ゼネラル・エレクトリックからシックス・シグマの手法を導入[18]社内カンパニー制採用。東芝クレーマー事件発生。

2000年


登記上の本店だった川崎事業所(神奈川県川崎市幸区堀川町)を閉鎖、浜松町の東芝ビルディングが本店となる。

2002年


9月 東芝日曜劇場の東芝一社提供を終了し、同番組の提供を一時降板。7年後に復帰した。

2003年


1月 東芝の一部門より分社化し株式会社駅前探険倶楽部(現在の駅探)を設立。また、長きに渡って親しまれた東芝傘マークが家電製品、重電製品を問わず段階的に廃止された。

2005年


6月 西田厚聰が社長に就任、積極経営に転ずる。

2006年


1月 イギリス英国核燃料会社(BNFL)から、ウェスティングハウス・エレクトリックを54億ドル(約6370億円)で買収。加圧水型原子炉の技術を手に入れ、沸騰水型原子炉を含めた原子炉装置の世界三大製造メーカーの一つとなる。

5月11日 西田社長が3年間で2兆の設備投資を行うことを宣言、JPモルガンに「買い物が多すぎる」等と評される[19]

10月 「TOSHIBA Leading Innovation>>>」を柱とするコーポレートブランドを制定。

2007年


6月 東芝EMI全株式を、イギリスのEMIグループに売却し音楽事業から撤退。売却後の社名はEMIミュージック・ジャパン(現・ユニバーサル ミュージック合同会社)。

9月 銀座東芝ビルを東急不動産に1610億円で売却を発表。

12月 日本企業で初めて、ワン・タイムズスクエア・ビルの最上部にブランド広告を掲示。

2008年


2月 HD DVD事業からの撤退を表明。現時点から生産規模を縮小し、3月末で正式に撤退する。これを受け、第3世代光ディスク(当時の「次世代DVD」)規格はBlu-ray Discへの統一が決定した。

4月 子会社の東芝ライテックと共に、2010年を目処に、一般白熱電球の製造・販売中止を発表。

11月 リーマン・ショック後、財政状態悪化により東芝ビルディング(本社ビル)梅田スカイビルを所有する東芝不動産を、野村不動産ホールディングスに1500億円で売却[20]

2009年


7月 佐々木則夫が社長に就任。

10月 テレビドラマ『日曜劇場(旧・東芝日曜劇場)』の提供を7年ぶりに再開。

11月10日 私的録音録画補償金制度を巡って、私的録画補償金管理協会から提訴される。

2010年


3月 同年4月1日より住宅用太陽光発電事業に参入すると発表。

3月 1890年から続いた白熱電球の製造・販売のうち、一般用途向け白熱電球製造を日本で最初に終了。

2011年


8月 一部メディアにより、携帯電話事業を富士通に売却、携帯電話生産からの撤退が報じられる[21]

11月30日 半導体生産拠点の北九州工場(福岡県北九州市)、子会社の浜岡東芝エレクトロニクス(静岡県御前崎市)、東芝コンポーネンツ千葉県茂原市)の3工場を2012年9月までに閉鎖し、半導体事業再編を図ることを発表[22]

2012年


3月下旬 ウェスタン・デジタルに東芝ストレージデバイス・タイ社を譲渡し、ウェスタン・デジタルからハードディスク製造設備の一部を取得[23][24]
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