東芝
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2024年5月16日、 国内のグループ全体の社員を対象に最大4千人の早期希望退職を募ると共に本社機能を事業子会社や研究開発部門の拠点がある川崎市に移転、集約することを発表した[12]
歴史
創業

創業者の、初代田中久重1799年 - 1881年)は、からくり人形「弓曳童子」や和時計「万年時計(万年自鳴鐘)」などを開発したことから、「からくり儀右衛門」として知られる。初代久重が東京銀座に工場(諸器械製造所)を興し、弟子であり養子の田中大吉(後の2代目久重(1846年 - 1905年)が東京・芝浦に移転させた。この工場の技術者の中に、後の沖電気工業創業者・沖牙太郎池貝創業者・池貝庄太郎宮田工業創業者・宮田栄助らがいた。
沿革筆記体「Toshiba」ロゴ(傘マーク)横長「TOSHIBA」ロゴ現在でも使用されている「傘マーク」。これは阪神列車種類選別装置用車上子で、阪神の車両のほかに相互直通で使用されている近鉄山陽の車両にも使用されている。この車両は近鉄22600系
1875年


初代田中久重が東京・銀座に電信機工場を創設。

1882年


田中大吉(後の2代目田中久重)が東京・芝浦に「田中製造所」を設立。

1890年


藤岡市助三吉正一が東京・京橋に「合資会社白熱舎」を創設、日本で最初の一般家庭向け白熱電球の生産を開始する。追従する他社を寄せ付けず市場をほぼ独占していた[13]

1893年


三井財閥より藤山雷太を招聘し、田中製作所から「芝浦製作所」として再スタート[14]

1896年


合資会社白熱舎が「東京白熱電燈球製造株式会社」に社名変更。

1899年


東京白熱電燈球製造株式会社が「東京電気株式会社」に社名変更。
ゼネラル・エレクトリック」も参照
1904年


芝浦製作所が会社組織となり「株式会社芝浦製作所」設立[15]

1939年


重電メーカーの株式会社芝浦製作所が軽電メーカーの東京電気株式会社を合併し、東京芝浦電気株式会社に商号変更。

1949年


石坂泰三が社長に就任。株式上場。

1950年


過度経済力集中排除法の適用を受け、網干工場が西芝電機として分離独立。

5月 筆記体の“Toshiba”マーク(東芝傘マーク、傘ロゴ)を制定[16]。全東芝を表す場合と、家庭電気器具に使用。
1955年頃の「マツダ」ブランドのラジオ用真空管
1956年


12月 ラジオ東京テレビ(KRテレビ。現在のTBSテレビ)で東芝単独提供によるテレビドラマ東芝日曜劇場」の放送を開始。

1960年


レコード会社 東芝音楽工業(→ 東芝EMI株式会社 → EMIミュージック・ジャパンユニバーサル ミュージック合同会社 EMIレコーズ・ジャパンレーベル → ユニバーサル ミュージック合同会社 EMI Rレーベル)を設立。

1962年


電球の、東京電気以来の「マツダ」ブランドを廃止(標準電球除く)、「東芝ランプ」に統一。

1965年


土光敏夫が社長に就任。
テープレコーダー、ラジオ、スピーカーの新聞広告(1967年)
1968年


12月10日 府中工場の従業員4523人に支給されるボーナスが、日本信託銀行国分寺支店の行員が工場へ運搬する途中に奪取される(三億円事件)。

1969年


2月「東芝傘マーク」を書きやすい形状に部分修正し、方形の背景に白抜き表示を開始[注 1]。 このロゴは平成初期頃まで一部家電に現在の東芝ロゴと併用されていた。

10月 フジテレビ系列で東芝一社提供によるテレビアニメサザエさん』の放送を開始。

11月 「東芝傘マーク」が世界の一部の国で誤読を招いた(「Joshiba」と勘違いされた)ことから、現在の「東芝ロゴ」(サンセリフ系)を扁平(平体)にしたような形状のロゴの併用を開始[15]

1975年


創業100周年、家電製品で「東芝新世紀シリーズ」を販売。

1976年


岩田弌夫が社長に就任、リストラの開始(家電製品の総発売元だった東芝商事を、地域別に分割して地域内販社と統合し再編=現在は東芝コンシューマ・マーケティングに再統合=など)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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