東胡
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民族・言語系統

東胡の言語系統について、古くは ツングース系[5]、或はモンゴル・ツングース混合系[6]、或は東胡の子孫である鮮卑の言語をテュルク系[7][8]、テュルク・モンゴル混合系とする説[9]があったが、いずれの説も支持されていない[10][11]

近年は鮮卑(とくに拓跋部)の言語がモンゴル系であること[12][13]、東胡時代の遺跡や遺物から鮮卑や烏丸に特徴的な習俗の痕跡が発見されていることから、東胡もモンゴル系とみる解釈が有力視されている[14]
東胡系の民族

後代、中国の史書において「東胡の後裔」とされる民族がいくつか記されている。

烏桓…『三国志』、『後漢書

鮮卑…『三国志』、『後漢書』

柔然…『魏書』

…『新唐書』北狄伝において「奚もまた東胡種」とある。

契丹…『新唐書』北狄伝において「契丹、本東胡種」とある。

脚注^史記』匈奴列伝註所引『索隠』服虔云「東胡,烏丸之先,後為鮮卑。在匈奴東,故曰東胡。」
^ 内田吟風は「東胡とは胡族(匈奴もその一種)のうち、東部にいるものとして、春秋戦国時代の中国人が付した中国語的名称と解される。」とした。《内田 1975,p72》
^ この節は『東北古代民族研究論網』『中国辺境通史双書 東北通史』参照
^ 『史記』匈奴列伝より。
^ アベル・レミュザ (Recherches sur les Tungues Tartares.1820)や、ユリウス・ハインリヒ・クラプロート (Asia Polyglotta.1823)が唱導して以来、東胡民族は通古斯(Tungus)族のことであって、「東胡」という文字も恐らくこのTungusという音を写したものであろうとの考が一時おこなわれたが、その後この東胡=ツングース説はほとんど信じられなくなっている。《内田 1975,p3》
^ 白鳥庫吉は「東胡民族考」(『史学雑誌』21-24、『白鳥庫吉全集4』)において、中国古典中に記録せられて残っているところの、東胡の後裔なる鮮卑柔然族の言語(※烏桓の言語はほとんど残っていない)を調査して、これが現在のツングース語およびモンゴル語をもって解釈せられること、端的にいえば彼等の言語はツングース語とモンゴル語の混合(モンゴル語的要素はツングース語的要素よりも多数、とする)せるものであったことを論考した。《内田 1975,p3》
^ Boodberg(1936)やBazin(1950)は、東胡の子孫である鮮卑族、特に拓跋部の言語をturkishないしproto-turkish originalであるとした。《『騎馬民族史1』p9 注15》
^ ポール・ペリオは1925年秋のレニングラードにおける講演において、4-5世紀の華北を支配した鮮卑拓跋部の語彙を基礎として、鮮卑はテュルク語使用の民族であったと発表したとv.v.バルトリドは紹介したが(W.W.Barthold:Der heutige Stand und die nachsten Aufgaben der geschichtlichen Erforschung der Turkvolker〔Zeitschrift der deutschen Morgenlandischen Gesellschaft,Neue Folge Band 8 - Heft 2.S.124〕)、ついでペリオ自身は鮮卑語をモンゴル語とみる意味のことをToung-pao XX.S.328注3、XXVII.S.195.注1で発表した。バルトルトは鮮卑の言語はテュルク語であると論じ、鮮卑は疑いもなくテュルク族であったと結論し(Zwolf Vorlesungen uber die Geschichte der Turken Mittelasiens〔Orta Asya Turk Tarikhi,Istanbul 1927.Die Welt des Islams Bd.XIV 1932.〕)、P.ブッドバーグは鮮卑拓跋部の語彙が本質的にテュルク語であることを論考した(P.Boodberg,The Language of the To-pa Wei.Harvard Journal of Asiatic Studies I-2 1936)。《内田 1975,p3-4》
^ 方壮猷は「鮮卑語言考」(『燕京学報第八巻』)において、鮮卑語はもっぱらモンゴル語とトルコ語をもって解釈でき、鮮卑はモンゴル・テュルクの混種であると推定した。《内田 1975,p3》
^ 白鳥庫吉は「東胡」という名称は「胡の東にある者」(『史記索隠』より)という意訳であり、「ツングース」の音訳ではなく、「ツングース」という名称自体、近世になって生まれた単語であるから、東胡=ツングース系ではないとした。また、E.H.Parker:A Thousand Years of the Tartar 2nd.ed.1924もツングース東胡両語間の語言的連繋を疑問とし、東胡をツングースなる族名はテュルク語の豚に出たものとし、Pelliot(TP.XXVII.p.170)は豚を表すテュルク語名詞tongusは後世の名詞で、古い名詞はlaγzinであるから、ツングースなる民族名は近世にできた名称だとし、東胡をツングースの音訳と見ることは不可能とせざるを得ないとした。《内田 1975,p72注7》
^ テュルク系の匈奴や匈奴と交雑した宇文部と言葉が異なり、習俗も一致しない部分があるため支持されていない。《『契丹民族史』》
^ エドウィン・プリーブランク (1962)やLigeti(1970)によると、鮮卑語の特徴はモンゴル語であるという。《『騎馬民族史1』p9 注15、p218 注2》
^ L.Ligeti(Le Tabghatch,un dialecte de la langue Sien-pi,1970)は、鮮卑拓跋語はモンゴル語の特徴を有し、テュルク語の特徴とは相容れないと強調する。《内田 1975,p4》
^ 『東北古代民族研究論網』

参考文献

司馬遷史記』匈奴列伝第五十

内田吟風田村実造他訳注『騎馬民族史1 正史北狄伝』(平凡社東洋文庫1971年

内田吟風『北アジア史研究 鮮卑柔然突厥篇』(同朋舎出版1975年ISBN 4810406261

松丸道雄ら編 『世界歴史大系 中国史1』(山川出版社2003年

孫進己、孫泓『契丹民族史』(広西師範大学出版社、2010年ISBN 9787563391318

『東北古代民族研究論網』(中国社会科学出版社、2006年ISBN 978-7-5004-6301-6

『中国辺境通史双書 東北通史』(中州戸籍出版社、2003年

関連項目

匈奴

月氏



山戎

中国の異民族

ツングース

扶余

丁零



東夷

遊牧民

盧綰


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