東海道線_(名古屋地区)
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80系電車による列車は蒸気機関車牽引の快速よりも速く走れることとなったため(名古屋駅 - 岐阜駅間は最速29分と客車急行並みの速度で運転)、豊橋駅 - 名古屋駅 - 大垣駅間の快速はこの時にいったん廃止。武豊線直通も縮小[2][3]

1956年(昭和31年)11月 : 東海道本線全線電化に伴い電車運転が本格的に始まる。運転本数は毎時1 - 3本[1]

1964年(昭和39年)10月1日 : 東海道新幹線開業に伴うダイヤ改正。豊橋駅 - 大垣駅・米原駅間での区間運転電車列車が増発され、客車列車はわずかに残るのみとなる[1]

1968年(昭和43年)10月1日 : 東海道線名古屋地区の普通列車がすべて電車化(客車列車全廃)。朝ラッシュ時8時台の下り列車が5本となるが、それ以外の時間帯は貨物列車が多数運転されていた影響により、大幅な増発とはならなかった[1][3]

1971年(昭和46年)4月26日 : 快適・高頻度・高速度のサービスを展開する名鉄に客を奪われ続けている事情を鑑み、80系による快速を豊橋駅 - 大垣駅間に3往復、朝上りと夕下りの名古屋駅 - 岐阜駅間に1本ずつ試行的に新設し、名古屋駅 - 岐阜駅間を名鉄特急と同等の26分運転とする[2]

1972年(昭和47年)3月15日 : 余剰となった急行形車両153系8両編成(一部クハ165を含む。後に155系・159系も加わる)[注 1]を使用して快速を1日9往復に増発し、日中はほぼ1時間間隔となる[2]。同時に最高速度は110km/hとなり、所要時分は豊橋駅 - 名古屋駅間54 - 55分、名古屋駅 - 岐阜駅間22 - 23分(新幹線開業前の準急「伊吹」と同等の所要時分)と、名岐間では名鉄特急をリードする。しかし運転本数は、日中はパターンダイヤが採用されたものの快速・普通が1時間に各1本ずつのみで、当時豊橋駅基準で特急(料金不要)毎時4本・準急毎時1本の名鉄名古屋本線に対して劣っていた。車両もほぼ全列車が冷房車で運転されていた名鉄特急に比べると国鉄側の冷房装置の設置は進まず、夏季のサービス面でも劣っていた。(→停車駅図1)この改正で、米原駅や大垣駅と東京駅を直接結んでいた昼行普通列車が廃止[4]

1978年(昭和53年)3月25日 : 113系への置き換え完了により80系電車の運用を終了[3]

1978年(昭和53年)10月2日 : 快速の停車駅統一[5]

1980年(昭和55年) : 都市圏の発展による通勤利用者の増加で、名鉄線の混雑や並行道路の渋滞が激化。これを受けて国鉄名古屋鉄道管理局が「PLAN '80」研究会を設置し、いわゆる“汽車ダイヤ”から“国電型ダイヤ”への転換を表明[2]

1982年(昭和57年)5月17日117系6両編成9本を快速に投入し、“東海ライナー”と命名する。ただし運転本数は快速・普通とも毎時1本と、従来のままだった。

1982年(昭和57年)11月15日 : 153系・155系の運用を終了[3]

1984年(昭和59年)2月1日 : 貨物列車の減少などにより東海道本線に余裕ができたことから、既存車両の先頭車改造による短編成化、列車の増発を行う。キャッチコピーで「待たせない国電」がアピールされ、大府駅 - 名古屋駅 - 大垣駅間では日中1時間当たり快速1本・普通3本の15分間隔ダイヤとなり、岡崎駅 - 大府駅間で毎時快速1本・普通2本の20分間隔となる[6][7][3]

1985年(昭和60年)3月14日 : 名古屋駅始発・終着の列車が減少し、多くの列車がスルー運転となる[8]

1986年(昭和61年)7月 : 117系の先頭車増備に伴い、117系の運用を165系が代走。(10月31日まで)

1986年(昭和61年)11月1日 : 「汽車から電車へ」をスローガンとした国鉄最後のダイヤ改正を実施。民営化を前提としたダイヤとなり、快速・普通が増発される。日中時間帯は快速2本(豊橋駅 - 大垣駅間で快速運転の列車が毎時1本、現在の区間快速に相当する岡崎駅 - 大垣駅間で快速運転の列車が毎時1本)・普通4本が運転され、これらを合わせると毎時6本となる。またこの時、“シティライナー”の愛称で211系0番台が2本8両投入されたほか、117系も先頭車を増備して4両編成18本となる[9][2][10]。(→停車駅図2

分割民営化後

1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)が発足。会社発足時にこの区間を東海道新幹線に次ぐ重要な経営基盤としてサービス向上を図ることとし、名鉄との本格的な競争に入る。

1988年(昭和63年)3月13日 : ダイヤを整理し、岡崎駅 - 大垣駅間で日中1時間当たり快速2本・普通4本とする。日中毎時1本存在した大府駅 - 大垣駅間の普通が岡崎駅まで延長。車両は211系5000番台を新たに投入。名古屋駅 - 岐阜駅間が19分運転となる。また保線作業のため従来毎週水・木曜日の12時前後に行われていた運休が廃止される[11]。名古屋駅 - 大垣駅間に、特急「しらさぎ」用の485系による東海道線名古屋地区初の通勤ライナー「ホームライナーながら」を朝夕2本ずつ設定[12][13][1]

1989年平成元年)

3月11日 : 快速列車が、最速達タイプの新快速、従来からの快速(青)、豊橋駅 - 岡崎駅間各駅停車の快速(緑)の3パターンに分けられる。日中には新快速が蒲郡駅(一部岡崎駅) - 大垣駅間で毎時2本(30分間隔)、快速(青)が毎時1本、快速(緑)が毎時1本運転され、これらを合わせると15分間隔となる。また普通も増発され、この改正以降は快速・普通が毎時各4本運転されるようになる[13][14]。快速(青)については、熱田駅を通過に変更した[15]

7月9日 : 「世界デザイン博覧会」開催に合わせたダイヤ改正。金山駅に東海道本線のホームが新設され、新快速・快速(青)・快速(緑)全列車の停車駅に加わる。311系を新造して新快速に集中的に投入し、最高速度を120km/hでの運転を開始。新快速の所要時分は岡崎駅 - 名古屋駅間29分、名古屋駅 - 岐阜駅間18分(下り)となる[13]。また早朝・深夜に快速(緑)を設定。名古屋駅以東(以南)では初となるホームライナー「ホームライナー岡崎」を新設[16][17]


1990年(平成2年)3月10日 : 平日・休日ダイヤ制を導入[1]
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