東海ラジオ放送
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^ 発生が予想されている3つの地震を未然に防ぐ啓発企画・東海・東南海・南海大地震キャンペーンに伴う企画。なお福本は公開生放送より前の時間から本社を出発していた。
^ 12時 - 17時にわたり、本社スタジオを中心に、パーソナリティ・アナウンサーが東海3県下各地の10数ヶ所の中継地点(大須演芸場など)に散らばり、随時中継を行った。なおメッセージを寄せたリスナーには、抽選で花咲か扇子がプレゼントされた。
^ 3月31日までは東北地方太平洋沖地震に対応するため、radikoのエリア規制が解除され、先に本格サービスを開始した関東・関西の13局とともに全国で聴取可能であった。
^ ワイド番組が少ない日曜日は箱番組との間のCM枠内。
^ 「ドラゴンズスペシャル」を用いたタイトル以外で実施する為、中日の試合開催有無に関係なく、また試合中継が無く雨傘番組の場合も実施される。
^ なおこの該当日に当たる日が平日の場合、この企画に伴う中継は通常の「飛び込みマイク」(生中継枠)を充てた。
^ なお初日14日のオープニングは、『秋の改編 公開発表会!!』と題した番組改編発表が行われた。
^ 概ね次の番組が放送される30分ほど前に流れる。なお聞いてみや?ちでも12時台に、メッセージテーマの告知枠が以前より実施されている(告知は12時台に放送されている番組のパーソナリティーが担当)。
^ ただし、現在は関連会社で設立時は子会社であった東海テレビ放送の第2位株主として愛知県が資本参加している。
^ 東海ラジオ放送 代表取締役社長
^ 東海ラジオ放送 取締役
^ 中日新聞社 代表取締役社長
^ a b 東海ラジオ放送 代表取締役会長
^ 東海ラジオ放送 非常勤取締役
^ 岐阜放送(ぎふチャン)は東海ラジオ同様恵那市に中継局を置くが、NHKとCBCラジオは隣接する中津川市に中継局を置いている。
^ ただし一部の番組では番組間にパーソナリティ・スタッフを入れ替えスタジオを継続使用する事もある。
^ テレビカメラも近くに設置される。なおスタジオというよりは記者席に近いタイプである。
^ 土曜日早朝(6:45-7:00)枠で単独スポンサー番組あり。
^ 2021年までは若鯱家、2022年から東海精機提供。
^ a b c d e 以下の「TOKAI RADIO」=「トウカイ・レディオ」の実際の発音は「トォカイレディオ」に近い
^ 2007年3月に東海ラジオのホームページがリニューアルされた際、トップページに「トーク・愛・ラジオ」をイメージしたデザインとなった他、新聞広告等に積極的に使用されている。CMは他の3種類と比べるとやや長めである事から放送頻度は少ない。
^ 稀に「お聴きの放送は東海ラジオです」というアナウンスが追加されていた。2012年5月14日のステレオ放送終了に伴って使用終了を公式発表[80]。東海ラジオでは名古屋本局以外はモノラル放送であり、そもそも名古屋と新城以外は1332kHz以外の周波数である。
^ 2006年までは東海ラジオ ガッツナイターと書かれた看板のみがグラウンド内の広告として使用されていたが、2007年度は地元豊橋市のSALA(サーラ)と東海地方を拠点とするAPITA(アピタ)の2社とガッツナイターとの複数広告掲示となった。現在は岡崎支局の担当となったほか、豊橋支局が廃止されたため、豊橋支局も行っていた中止の場合の払い戻し業務などは、豊橋支局廃止前から扱っていた豊橋丸栄(現:ほの国百貨店)などで行われている
^ 東海ラジオで放送される関連CMは、アテンダント募集告知CMを含めて長らく局アナが読むオリジナルのものが放送されているが、2009年は開催告知CMに限り、途中から外部のナレーターが読むバージョンが放送された。
^ 1981年に岐阜市民センターで岐阜公演を行った(東海ラジオとしては初めてのボリショイサーカス)。名古屋公演は元々中京テレビ主催だったが、1984年から東海ラジオに権利が移行した。
^ 1960年6月6日に当時の愛知文化講堂太陽がいっぱいを上映し、第1回目の試写会を開催した。当時ラジオ局がこのような映画試写会などを催す事は意表をついた着想だと評価されたが、好評ぶりをみて他局でも行うようになった(東海ラジオ放送二十年史より)。以降は『ENEOSシネマステーション』と一時期スポンサーをつけて多く開催していた時期もあったが、現在は年に数える程度になった。
^ 高校ラジオ作品コンクールに関連して、高校生なら放送部に所属していなくても、1人から応募し番組制作に挑戦できる高校ラジオクラブを第1週(2008年11月分までは月2回放送していたが、スポンサー撤退とともに1回となった)に放送している。
^ 旧名古屋わんぱく祭。「親と子の対話の休日」を目的に1972年(昭和47年)から実施されていた。わんぱく祭の開催当初は栄公園だったが、後に久屋広場に変更された。
^ かつて一時期は6名在籍しており、2勤1休の3班体制で平日12時台・14時台に中継していたが、減員により班体制の減少と土曜の中継が導入されてから月・火の12時台の中継は休止している
^ 「東海ラジオ放送 創立50年のあゆみ」内に中継局舎とパジェロが写った写真が掲載されているページがある。
^ 東海ラジオの年史などによると、東海ラジオ開局当初は同時生放送を行っていたようである。
^ 東海ラジオ二十年史にそのような事を示す文章を見ることができる。

出典^ a b c d e f g h i j k l m n o 会社概要 - 東海ラジオ 1332kHz / 92.9MHz
^ a b c 産経新聞社 (2013年5月13日). “東海ラジオ放送人事(2013年6月26日)”. 2013年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年9月15日閲覧。
^ a b c d e f g 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2023』コーケン出版、2023年11月30日、375頁。
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