東海ラジオ放送
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但し、『東海ラジオ ガッツナイター』で中日ドラゴンズ戦(原則)のナイター中継が行われる場合(主に明治神宮野球場においての大学野球シーズン中のヤクルト戦[注釈 1] や、主に7 - 8月に行われる屋外球場[注釈 2] での試合[注釈 3])、並びにポストシーズンクライマックスシリーズ日本選手権シリーズ)に進出した場合、試合が極端に延長した時は放送休止の時間を延期・短縮する場合がある。

2019年度の第2日曜は、通常の休止時間帯に開局60周年記念番組『月イチでらブレイク』を生放送するため、臨時で終夜放送を行った。


三重県のラジオ局「ラジオ三重」→「近畿東海放送」と岐阜県のラジオ局「(旧)岐阜放送」→「ラジオ東海」の2社を源流企業とする民放ラジオ局で、1959年昭和34年)11月20日、両社が合併して本社機能を名古屋市に置く形で設立された。

「地域に密着した番組づくり」「暮らしに役立つ番組づくり」を基本コンセプトとし、生ワイド番組を中心とした番組編成を行っている[5]

開局当初から2022年(令和4年)9月まで、伝統的に放送終了時において社歌のアレンジをバージョンを変えながら放送していた。

NRN(National Radio Network)の加盟局。

開局から2022年9月25日までは「東海ラジオ」が愛称であった。同年9月26日以降、「TOKAI RADIO」に徐々に切り替え、約1年後に完全に移行した[6]

事業所

東京支社:〒100-0011 東京都港区赤坂2丁目13番23号 赤坂MYビル5階[7][注釈 4]
廃止された事業所[1]


大阪支社(〒530-0003 大阪府大阪市北区堂島2丁目1番43号 紀陽銀行ビル5階。2021年3月31日をもって廃止。)


一宮支局(愛知県一宮市。中日新聞旧一宮支局の建物内に所在していた。)

岡崎支局(愛知県岡崎市。2009年頃に廃止。)

豊橋支局(愛知県豊橋市。旧・中日新聞豊橋支局(現・豊橋総局)時代に同じ建物内に所在していたが、都合により廃止され、岡崎支局と統合された。)

三河支局(愛知県豊橋市堂坂町。2011年平成23年)頃から2017年(平成29年)頃まで東西三河の拠点として開設していた。2018年(平成30年)頃には名古屋本社内に三河支局が設置されていたが、廃止された。)

岐阜支局(岐阜県岐阜市柳ヶ瀬通1丁目12番地 岐阜中日ビル8階[8]に設置されていたが、経営合理化のために廃止し、東京を除く各地にあった営業部門を名古屋本社に集約した。)

三重支局(三重県津市三重会館5階に所在していたが、廃止された。)

四日市市浜松市(営業所扱い)・静岡市に営業拠点を設けていたが廃止された。

歴代社長
1959年(昭和34年)11月 - 1967年(昭和42年)11月 - 安保正敏[9]

1967年(昭和42年)11月 - 1991年(平成3年)6月 - 南正義[9]

1991年(平成3年)6月 - 1997年(平成9年)6月 - 深尾学[9]

1997年(平成9年)6月 - 2003年(平成15年)6月 - 藤井道雄[9]

2003年(平成15年)6月 - 2013年(平成25年)6月[2] - 志村富士夫[9]

2013年(平成25年)6月 - 2021年(令和3年)6月 - 小畑耕一[2]

2021年(令和3年)6月 - 田中康之

社史・記念誌

創立40周年のタイミングでは社史を発行していない。

東海ラジオ放送十年史(1969年発行)
[10]

東海ラジオ放送二十年史(1979年発行、378ページ)

東海ラジオ放送三十年史(1989年発行、441ページ)

東海ラジオ放送 創立50年のあゆみ(2009年11月20日発行、192ページ)

東海ラジオ放送 創立60年のあゆみ(2019年発行、)

沿革
前身会社時代「近畿東海放送」および「ラジオ東海」も参照

1953年昭和28年)10月15日 - 株式会社ラジオ三重(RMC)設立[11][注釈 5]

1954年(昭和29年)11月18日 - (旧)岐阜放送株式会社(GHK)設立[12][注釈 6][注釈 5]

1956年(昭和31年)

10月1日 - (旧)岐阜放送株式会社が商号を株式会社ラジオ東海(RTC)に変更[13]

12月10日 - 株式会社ラジオ三重が商号を近畿東海放送株式会社(KTB)に変更[13]


1958年(昭和33年)2月1日 - 近畿東海放送株式会社と株式会社ラジオ東海が合弁で新東海テレビ放送株式会社(現 東海テレビ放送)を設立[14]

1959年(昭和34年)

2月18日 - 近畿東海放送株式会社及び株式会社ラジオ東海が共同で名古屋市に新ラジオ局の免許を申請[15]

6月1日 - 郵政省(当時)、現行のラジオ2放送局を廃止することを条件に新局の設置を認可。

6月8日 - 郵政省の意向を受け、近畿東海放送とラジオ東海の両社が緊急役員会を開き、両社の合併を決議し、合併契約書に調印する[15]

9月26日 - 名古屋局の予備免許取得[16][注釈 7]


東海ラジオ放送時代
1950年代

1959年(昭和34年)

11月20日 - 近畿東海放送株式会社及び株式会社ラジオ東海が正式に合併(対等合併)し、『東海ラジオ放送株式会社』となる[16]


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