東海テレビ放送では、以下の4冊を発行している(2020年3月時点)。 以下は2011年7月24日停波時点でのデータ。
明日をひらく 1968年11月25日発行、498ページ[19]。
明日をひらく PART2(東海テレビ放送株式会社社史編纂委員会・編纂)1989年2月発行、215ページ[20]。
東海テレビ放送開局50年史 つたえるつなぐ(東海テレビ放送株式会社編集・編纂)2009年10月発行、280ページ。
東海テレビ放送開局60年史(東海テレビ放送株式会社編集・編纂)2019年3月発行、80ページ。
ネットワークの変遷
1958年(昭和33年)12月25日(開局日) - 日本テレビを中心にラジオ東京(現・TBSテレビ)や関西テレビ、読売テレビの番組をネット受けしていた。この時点で後にキー局となるフジテレビはまだ開局していなかった。
1959年(昭和34年)3月1日 - この日に開局したフジテレビと九州朝日放送(KBC)、そして開局の時点でネットを結んでいた関西テレビと4局ネットを結び、フジテレビをキー局と定める。しかし、他の局の番組が無くなったわけではなく、日本テレビやラジオ東京の番組、そしてこの日からネットを組んだ日本教育テレビ(NETテレビ、現・テレビ朝日)の番組も含めた形の編成だった。在阪局では朝日放送(ABC)、毎日放送 (MBS) とも番組ネットを組んだ。
1960年(昭和35年)2月1日 - 中部日本放送(CBCテレビ)が4社連盟(現・5社連盟)に加入し、ラジオ東京・朝日放送テレビの番組が同局へ完全移行。入れ替わりに日本テレビの番組が移行して、日本テレビ・フジテレビ・NETテレビを組み合わせた編成となる。
1962年(昭和37年)4月1日 - 名古屋放送(NBN、現・メ?テレ)の開局により、日本テレビの番組とNETテレビの番組がNBNへ移行。以後はフジテレビの番組が中心となるが、MBS制作番組の一部(『真珠の小箱』など)は残ることになった。
1964年(昭和39年)10月1日 - 北部九州地区のネット局がKBCからテレビ西日本(TNC)に変更。
1966年(昭和41年)10月3日 - フジテレビ系ニュースネットワークFNNに加盟。
1969年(昭和44年)10月1日 - フジテレビ系番組供給ネットワークFNSに加盟。
1975年(昭和50年)3月31日 - 俗に言う腸捻転ネットの解消に伴い、MBS制作の番組がTBSテレビ系列へ1本化(CBCテレビへ移行)されて姿を消す。
1983年(昭和58年)9月1日 - テレビ愛知 (TVA) の開局により、番組販売という形で放送していた東京12チャンネル(→テレビ東京)の番組がTVAへ移行。
中継局
デジタル放送
送信所 - 名古屋(瀬戸デジタルタワー)[21]
コールサイン - JOFX-DTV
コールネーム - 東海テレビ放送デジタルテレビジョン
物理チャンネル - 21ch
空中線電力 - 3kW
実効輻射電力 - 34kW
リモコンキーID - 1
前述の通り、FNN・FNS系列では唯一の「1」である。
3桁 - 011、012、013、611(ワンセグ)
愛知県
豊橋 15ch 10W
田原 15ch 3W(垂直偏波)
鳳来大野 21ch 300mW
二川 15ch 300mW
稲武東 15ch 50mW
稲武西 21ch 10mW
幡豆 43ch 300mW(垂直偏波)
本宿 42ch 50mW
赤羽根 38ch 300mW
岐阜県
中濃 15ch 10W
中津川 15ch 20W
長良 15ch 2W
高山 15ch 20W
土岐南 15ch 3W
下呂 15ch 3W
郡上八幡 15ch 10W
神岡 15ch 1W
流葉 21ch 300mW
坂下 21ch 1W
付知 21ch 1W
明智 21ch 1W
多治見 15ch 1W(垂直偏波)
土岐北 15ch 300mW(垂直偏波)
瑞浪 15ch 1W
加子母 15ch 300mW
中野方 15ch 300mW
白鳥 21ch 1W
芥見 15ch 1W
各務原鵜沼 21ch 50mW
多治見姫 15ch 50mW(垂直偏波)
鵜沼宝積寺 36ch 50mW
三重県
伊勢 15ch 100W
名張 21ch 10W
尾鷲 15ch 10W
熊野 21ch 3W
磯部 21ch 1W
鳥羽 21ch 1W
伊賀 21ch 3W
南勢 21ch 1W
北勢 21ch 3W
紀宝成川 21ch 300mW
紀宝神ノ内 37ch 300mW
アナログ放送