東海テレビ放送では、以下の4冊を発行している(2020年3月時点)。
明日をひらく 1968年11月25日発行、498ページ[19]。
明日をひらく PART2(東海テレビ放送株式会社社史編纂委員会・編纂)1989年2月発行、215ページ[20]。
東海テレビ放送開局50年史 つたえるつなぐ(東海テレビ放送株式会社編集・編纂)2009年10月発行、280ページ。
東海テレビ放送開局60年史(東海テレビ放送株式会社編集・編纂)2019年3月発行、80ページ。
ネットワークの変遷
1958年(昭和33年)12月25日(開局日) - 日本テレビを中心にラジオ東京(現・TBSテレビ)や関西テレビ、読売テレビの番組をネット受けしていた。この時点で後にキー局となるフジテレビはまだ開局していなかった。
1959年(昭和34年)3月1日 - この日に開局したフジテレビと九州朝日放送(KBC)、そして開局の時点でネットを結んでいた関西テレビと4局ネットを結び、フジテレビをキー局と定める。しかし、他の局の番組が無くなったわけではなく、日本テレビやラジオ東京の番組、そしてこの日からネットを組んだ日本教育テレビ(NETテレビ、現・テレビ朝日)の番組も含めた形の編成だった。在阪局では朝日放送(ABC)、毎日放送 (MBS) とも番組ネットを組んだ。
1960年(昭和35年)2月1日 - 中部日本放送(CBCテレビ)が4社連盟(現・5社連盟)に加入し、ラジオ東京・朝日放送テレビの番組が同局へ完全移行。入れ替わりに日本テレビの番組が移行して、日本テレビ・フジテレビ・NETテレビを組み合わせた編成となる。
1962年(昭和37年)4月1日 - 名古屋放送(NBN、現・メ?テレ)の開局により、日本テレビの番組とNETテレビの番組がNBNへ移行。以後はフジテレビの番組が中心となるが、MBS制作番組の一部(『真珠の小箱』など)は残ることになった。
1964年(昭和39年)10月1日 - 北部九州地区のネット局がKBCからテレビ西日本(TNC)に変更。
1966年(昭和41年)10月3日 - フジテレビ系ニュースネットワークFNNに加盟。
1969年(昭和44年)10月1日 - フジテレビ系番組供給ネットワークFNSに加盟。
1975年(昭和50年)3月31日 - 俗に言う腸捻転ネットの解消に伴い、MBS制作の番組がTBSテレビ系列へ1本化(CBCテレビへ移行)されて姿を消す。
1983年(昭和58年)9月1日 - テレビ愛知 (TVA) の開局により、番組販売という形で放送していた東京12チャンネル(→テレビ東京)の番組がTVAへ移行。
中継局
デジタル放送
送信所 - 名古屋(瀬戸デジタルタワー)[21]
コールサイン - JOFX-DTV
コールネーム - 東海テレビ放送デジタルテレビジョン
物理チャンネル - 21ch
空中線電力 - 3kW
実効輻射電力 - 34kW
リモコンキーID - 1
前述の通り、FNN・FNS系列では唯一の「1」である。
3桁 - 011、012、013、611(ワンセグ)
愛知県
豊橋 15ch 10W
田原 15ch 3W(垂直偏波)
鳳来大野 21ch 300mW
二川 15ch 300mW
稲武東 15ch 50mW
稲武西 21ch 10mW
幡豆 43ch 300mW(垂直偏波)
本宿 42ch 50mW
赤羽根 38ch 300mW
岐阜県