東海テレビ放送
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1988年(昭和63年)11月22日 - 東海テレビ本社屋隣にテレピアがオープン。

1990年平成2年)9月 - 番組制作会社・東海テレビプロダクションを設立。

1994年(平成6年)

6月 - 財団法人・東海テレビ国際基金を設立。

10月8日 - 「10.8決戦」放送。


2002年(平成14年)11月 - 北京支局開設(フジテレビと共同)。

2003年(平成15年)

4月7日 - 現社屋(現在の旧社屋)の隣地(メルパルク(旧・郵便貯金会館)跡地)に新社屋竣工。東海ラジオ放送と共に移転。

12月1日 AM11:00 - 地上デジタル放送を開始。


2004年(平成16年)2月16日 - 本社の改修完成(新社屋移転)。同時にアナログ・デジタル統合マスター(NEC製)が稼働。

2005年(平成17年)3月25日 - 愛・地球博にパビリオン『夢みる山』を出展(中日新聞社・中部日本放送(CBC)・積水ハウスシヤチハタ日本ガイシブラザー工業との共同出展)。

2006年(平成18年)

大型中継車いすゞ・ギガマックス)、移動中継車(いすゞ・フォワードマックス)を更新。いずれもHD対応型、ナンバーは同局のチャンネルにちなみ「…1」である。

4月1日 - ワンセグ放送開始。


2008年(平成20年)

6月24日 - 営業局傘下だった豊橋・岐阜・三重の各支局をそれぞれ支社に昇格する(場所は変わりなし)とともに、三河(旧・豊橋)に岡崎支局・三重に四日市支局をそれぞれ属した一方で、静岡支局を廃止するなどの機構の一部改正を行った。


2009年(平成21年)

3月27日・3月28日 - ナゴヤドームで開催された中日とのオープン戦(27日はオリックス、28日は楽天)で東海テレビとしては初となるマルチチャンネル編成によるプロ野球中継を実施した。当初の社長会見[16] と放送時間などは変更があった。なお中継中随時、マルチチャンネル編成で中継を行っていることを知らせていた。

4月頃 - 中日主催試合において東海テレビ賞の受賞(「東海テレビ」と書かれたタスキをかけたわんだほのぬいぐるみがもらえる)が始まる。


2011年(平成23年)

7月24日 - アナログ放送を終了。

8月4日 - 『ぴーかんテレビ』の関連番組『別冊!ぴーかんテレビ』を放送している最中に不適切な表現が誤送出される放送事故が発生。その後、同番組が打ち切られるなど、大きな問題へと発展した。詳細は「セシウムさん騒動」を参照


2016年(平成28年)

3月31日 - 約52年間続いた昼の帯ドラマが放送終了。最終作は『嵐の涙?私たちに明日はある?』。

7月1日 - 岡崎支局が支社に昇格。


2020年令和2年)3月27日 - 在名4局(中京テレビCBCテレビテレビ愛知)と共同で在名民放局共同配信サービス『Locipo』開始[17]

2023年(令和5年)1月3日 - 開局65周年記念番組としてドラマ「ネバー・ギブアップ!?竹島水族館ものがたり?」が放送された。主演は小林龍二[18]

社史・記念誌

東海テレビ放送では、以下の4冊を発行している(2020年3月時点)。

明日をひらく 1968年11月25日発行、498ページ
[19]

明日をひらく PART2(東海テレビ放送株式会社社史編纂委員会・編纂)1989年2月発行、215ページ[20]

東海テレビ放送開局50年史 つたえるつなぐ(東海テレビ放送株式会社編集・編纂)2009年10月発行、280ページ。

東海テレビ放送開局60年史(東海テレビ放送株式会社編集・編纂)2019年3月発行、80ページ。

ネットワークの変遷

1958年(昭和33年)12月25日(開局日) - 日本テレビを中心にラジオ東京(現・TBSテレビ)や関西テレビ読売テレビの番組をネット受けしていた。この時点で後にキー局となるフジテレビはまだ開局していなかった。

1959年(昭和34年)3月1日 - この日に開局したフジテレビと九州朝日放送(KBC)、そして開局の時点でネットを結んでいた関西テレビと4局ネットを結び、フジテレビをキー局と定める。しかし、他の局の番組が無くなったわけではなく、日本テレビやラジオ東京の番組、そしてこの日からネットを組んだ日本教育テレビ(NETテレビ、現・テレビ朝日)の番組も含めた形の編成だった。在阪局では朝日放送(ABC)、毎日放送 (MBS) とも番組ネットを組んだ。

1960年(昭和35年)2月1日 - 中部日本放送CBCテレビ)が4社連盟(現・5社連盟)に加入し、ラジオ東京・朝日放送テレビの番組が同局へ完全移行。入れ替わりに日本テレビの番組が移行して、日本テレビ・フジテレビ・NETテレビを組み合わせた編成となる。

1962年(昭和37年)4月1日 - 名古屋放送(NBN、現・メ?テレ)の開局により、日本テレビの番組とNETテレビの番組がNBNへ移行。以後はフジテレビの番組が中心となるが、MBS制作番組の一部(『真珠の小箱』など)は残ることになった。

1964年(昭和39年)10月1日 - 北部九州地区のネット局がKBCからテレビ西日本(TNC)に変更。

1966年(昭和41年)10月3日 - フジテレビ系ニュースネットワークFNNに加盟。

1969年(昭和44年)10月1日 - フジテレビ系番組供給ネットワークFNSに加盟。

1975年(昭和50年)3月31日 - 俗に言う腸捻転ネットの解消に伴い、MBS制作の番組がTBSテレビ系列へ1本化(CBCテレビへ移行)されて姿を消す。

1983年(昭和58年)9月1日 - テレビ愛知 (TVA) の開局により、番組販売という形で放送していた東京12チャンネル(→テレビ東京)の番組がTVAへ移行。

中継局
デジタル放送

送信所 - 名古屋(瀬戸デジタルタワー[21]

コールサイン - JOFX-DTV

コールネーム - 東海テレビ放送デジタルテレビジョン

物理チャンネル - 21ch

空中線電力 - 3kW

実効輻射電力 - 34kW

リモコンキーID - 1
前述の通り、FNN・FNS系列では唯一の「1」である。

3桁 - 011、012、013、611(ワンセグ

愛知県

豊橋 15ch 10W

田原 15ch 3W(垂直偏波)

鳳来大野 21ch 300mW

二川 15ch 300mW

稲武東 15ch 50mW

稲武西 21ch 10mW

幡豆 43ch 300mW(垂直偏波)

本宿 42ch 50mW

赤羽根 38ch 300mW


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