東洋艦隊_(イギリス)
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^ 【ニューヨーク二日發】國通=U・Pシンガポール電によれば新任イギリス極東艦隊司令長官トーマス・フィリップス大将坐乗の新鋭戰闘艦プリンス・オブ・ウエルズ號(三五,〇〇〇噸)は司令長官旗を掲げ、若干隻の有力なる軍艦とともにシンガポールに入港した、イギリスが戰爭準備のため主力艦を極東に派遣したことはプリンス・オブ・ウエルズ號が最初である、一方シンガポール當局は他に軍艦數隻が近く入港する豫定であると發表した(寫眞はウエルズ號)[4]
【シンガポール二日發】國通=シンガポール政廰は二日イギリス海軍は新たに極東艦隊を編成、これを以て曾ての各艦隊をも包含せしめ、イギリス本國艦隊及びイギリス地中海艦隊と同様の地位を附與した旨發表した、尚ほこの艦隊はイギリス支那艦隊並びに東印度艦隊に代つて極東方面の防備に當るべきものであり、事實上濠洲並びにニュージランド艦隊もこれに編入せられるものと解せられる(記事おわり)
^ 【倫敦十六日UP】[9] 英國側では南京占領後の日本軍の南支進出に對し極度に警戒、香港へ艦隊増派、英國東洋艦隊を補強すべしとの噂が傳はるに至つた、それによると増派軍艦は フード級の戰艦二隻、巡洋艦四隻、輕巡洋艦二隻を派し日本海軍の驅逐艦、潜水艦に備へる といふのだが、政府筋では之を否定してをり、少くとも日本に對する外交々渉が一段落付まではかゝる非常手段には出ぬと見られてゐる、但し新造巡洋艦バーミンガム號だけは近々香港向け出發の模様である(記事おわり)
^ 中国艦隊に所属した空母は軽空母ハーミーズ」か改造空母イーグル」で[2]、しかも交代で配備されていた。
^ 第二次世界大戦開戦時のポケット戦艦2番艦「アドミラル・シェーア」は、1940年9月まで動けなかった[10]
^ たとえばナウル砲撃や、仮装巡洋艦「コルモラン」(Hilfskreuzer Kormoran) とオーストラリア海軍軽巡「シドニー」(HMAS Sydney) の相討ちなど。
^ オレンジ計画レインボー・プランを参照。日本海軍は連合艦隊をもって迎え撃つ艦隊決戦主義(英語版)のもとで海軍を育成した。
^ 太平洋艦隊配備の空母3隻(エンタープライズ、レキシントン、サラトガ)は健在だったが、この空母機動部隊も牽制や侵攻妨害のために用いられた[18]
^ 昭和十六年十二月經過概要[21] 〔 十日|「マレー」沖海戰 参加機數 偵察隊flo×10 雷撃隊 flo×51 爆撃隊 flo×34 計97 戰果「プリンスオブウェールズ」「レパルス」及d×1撃沈(註:駆逐艦撃沈は誤認) 被害 自爆3 不時着1 〕
^ 【ブエノスアイレスP】[22] シンガポール來電によればマレー政廰は七日レートン英東洋艦隊司令長官がプリンス・オヴ・ウエールズ、レパルス兩戰艦撃沈に依つて潰滅に瀕せる同艦隊再編成のためシンガポールを出發した旨發表した、尚右に關しストックホルム發D.N.B電がロンドン放送の發表として報ずるところに依ればレートンは英東洋艦隊を率いてシンガポールを出港したと(記事おわり)
^ 現在はスリランカ
^ ウォースパイトは1941年5月下旬のクレタ島の戦いドイツ空軍爆撃機により大破、レンドリース法によりアメリカ合衆国西海岸ピュージェット・サウンド海軍造船所で修理を実施した[26]。1941年12月28日に再就役、1942年3月20日にセイロン島トリンコマリーに到着する[27]。東洋艦隊に配備された[28]
^ 7月上旬、日本軍はFS作戦を中止した[43]
^ 昭和十七年八月經過概要[49]〔 一日|我哨戒機ハ「ツリンコマリ―」ノ七五度五〇浬ニB×1 A×2ヲ基幹トスル大部隊ヲ發見ス 〕
^ 大型艦の作戦も、1944年3月に南西方面艦隊隷下の第十六戦隊司令官左近允尚正少将が、重巡3隻(青葉筑摩利根)を率いて実施したサ第一号作戦ビハール号事件)程度である。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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