1989年(平成元年)からはオリジナルビデオ「東映Vシネマ」をリリースすることで映画の制作数を補うなど、スクリーン以外での映像展開を積極的に進めて対応を図っている[73]。
2011年9月17日の『アジョシ』から、国際営業部が新レーベル「TOEI TRY△NGLE」(東映トライアングル)で約30年ぶりに日本国外映画の買い付けと配給を再開した[121][162]。
2024年4月1日付で当社のパッケージ事業を連携子会社である東映ビデオに吸収分割(簡易吸収分割)により同社に承継。これに合わせて同年1月22日付で当社と東映による吸収分割契約を締結した[163]。
2025年夏をもって64年間続いた本社および丸の内TOEIが入居する東映会館が施設の老朽化を理由に閉館予定、同時に本社を京橋エドグランへ一時移転する予定となっている[164]。詳細は「丸の内TOEI」を参照 東映は、経理畑出身の大川博による徹底した予算主義と、徹底作品中心による大衆路線を採用した[165][166][167][168][169]。無駄なフィルムを使うと即座に始末書を書かされたと言われる[170]。 スター・システムと撮影所システムによって、特に時代劇全盛期には、序列化されたスターを頂点としてスタッフと俳優が派閥化されていた[171]。スターについても男性スターが中心で、女優はいわゆるお姫様女優であった[171][172][173]。岡田茂の造語である[16][23][46][174]「不良性感度」という言葉は[17][90][78][175][176]、時代劇ブームが終焉した1960年代半ばから、ヤクザ映画とアウトローによる暴力路線、アクション映画、エログロなど犯罪・暴力をモチーフに量産され[16][23]、東映イメージを決定付けた[16][43][68][71][73][75][90][177][178]。
社風