東映
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俊藤浩滋
渡邊亮徳
外部リンク東映株式会社
特記事項:テレビ朝日ホールディングスと互いに持分法適用会社である。
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東映株式会社(とうえい、: TOEI COMPANY,LTD.[6])は、日本映画の製作、配給、興行会社。1951年に東京映画配給株式会社東横映画株式会社太泉映画株式会社を吸収合併して設立[7][8]。2023年現在、日本の映画会社では唯一2つの撮影所を保有しており、東宝松竹と共に日本のメジャー映画会社「御三家[8][9]「三大メジャー」[10]の一社となっている。

東京証券取引所プライム市場上場企業。東急(旧・東京横浜電鉄東京急行電鉄[11][12][13][注 1])の子会社として設立された経緯をもつ。現在ではテレビ朝日ホールディングスの大株主であると同時に、テレビ朝日ホールディングスが東映の筆頭株主という株式持ち合いの関係にあり、互いに持分法適用関連会社である[14][注 2]
概要

日本で唯一、東京都練馬区東大泉に「東映東京撮影所」、京都府京都市右京区太秦に「東映京都撮影所」と2つの撮影所を有し、それらの撮影所を中心に制作された劇場用映画の制作・配給・興行や、洋画の買い付け・劇場配給・テレビ放送権販売、テレビドラマの制作、広報映画の制作や教育映画の制作・販売などを行う総合映像企業。

早くからテレビやアニメーションの可能性に目をつけており[16][17][18][19][20]東映アニメーション東映テレビ・プロダクション東映ラボ・テックなどの子会社を通じた劇場用・テレビ用アニメーションなどの制作、テレビCMなど各種コマーシャルフィルムの制作、オリジナルビデオやカラオケビデオの制作販売、現像所アフレコスタジオなどの所有・貸出も行っている。

テレビ朝日とは設立以来密接な関係にあり、同局に多数のコンテンツを供給している。同業他社に比べて映像部門が多岐にわたる一方で、子会社を通じた映像以外への事業多角化も古くから行い[21][22][23][24]、かつてはプロ野球東映フライヤーズ)やボウリング、交通事業等を手掛け[16][23][24]、現在も京都撮影所の一部を活用したテーマパーク東映太秦映画村」を筆頭に、ホテルゴルフ場不動産開発事業を行っている[16][24][25]
沿革

東京・大泉の旧新興キネマ東京撮影所を買収して貸スタジオ経営を始め、やがて映画製作に進出した太泉映畫1947年10月15日設立)と、1938年昭和13年)東京横浜電鉄(のちの東急)の興行子会社として東急東横線の沿線開発を目的に設立され、東京の渋谷横浜で映画館を経営していたが、戦後大映より京都第2撮影所(旧新興キネマ京都撮影所)を賃借して映画製作に進出した東横映画(1938年6月8日設立)、双方で製作された作品配給のために1949年(昭和24年)10月1日設立された東京映画配給株式会社が、制作会社2社を吸収合併。1951年(昭和26年)4月1日、社名を東映株式会社と改めて再出発した[7][8][26](資本金1億7000万円)[27]。東横映画を吸収した事からもわかるように、設立の背景には東京急行電鉄が大きく関与している。阪急電鉄創業者の小林一三東宝を作ったように、五島慶太は東映を作った[28][29][30][注 3][注 4]。東横映画の社長であった黒川渉三が街の高利貸しから資金を調達して映画製作を続け[26][32][33]、黒川の後を継いだ者も赤字を増やし[28][33]、設立当時の東映の負債は、当時の金額で11億円(1989年頃の貨幣価値では数百億円以上[34])にのぼった[34][35][36]。当時の映画事業に融資をするような銀行はなく[37][38]岡田茂広島一中の先輩であった鈴木剛住友銀行頭取仲介して[38]、五島慶太は住友銀行に融資を頼み[34][38][39]、東急から融資することは背任行為とみなされ出来ず[34]、五島は五島家の株式や自宅も含む全資産を担保に住友銀行から融資を受けた[34][38][39]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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