東映ビデオ
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ところがオープンリール式のビデオテープレコーダ(ビデオデッキ、VCR、VTR)[39]が発売されると8ミリはさっぱり売れなくなった。それで映機営業部でビデオの研究を始めたが、映画会社では研究にも限界があった[6]。1969年までの家庭用ビデオテープレコーダは、家庭用といってもカセット型はまだ開発途上であったため[40]、オープンリール式のモノクロで、本体20?30万円、専用小型テレビカメラ、モニターテレビを含めると50万円以上[41][42]、テープも一巻が3万円と高価だった[42]ハード(機器)もソフト(テープ)も高価なこの時代に、8ミリや初期のビデオの"一般の"購買層は、手元に置いて自分の所有物にしたいという心理を持つコレクターのような人たちであった[5][43]。特に1970年前後に個人でVTRを所有するケースは極めて稀であった[44]。1960年代も終わりかけの1969年10月29日、ソニーが最初のカセット式、しかもカラーの「ソニーカラービデオプレーヤー」を発売した[40][45]。このソニーのカセット式発売は東映は勿論、映画関係者を驚かせた[6]。機械も大きく値段も高価で家庭にはすぐは普及しなかったが[40][46]ビデオという未来産業への期待から、1970年1月19日発足のフジポニーを皮切りに、1970年1月に東映を退社した今田智憲が設立に参加した日本クラウン日本テレビ共同出資ユニオン映画が2月10日に発足されるなど[47][注釈 6]、放送局や映画界、レコード業界、広告業界、出版業界など、映像に関わる企業が3日に一社、計200社といわれたビデオ関連会社を設立する百花繚乱時代となった[18][47][49][50][51][52][53]。ビデオ産業で先頭に立っていたのはポニーとフジテレビニッポン放送などのフジサンケイグループであったが[50]東宝は最初はソニーと提携し研究を始め[18]松竹は将来ビデオが普及すれば音楽出版が窓口になると踏み、毎日放送と中央音楽出版(現・松竹音楽出版)を設立し、松竹、東映、大映日活もそれぞれ委員会を組織して研究を進めた[52]。東映でもビデオの研究を1960年代からやっていた映機営業部を母体に、各部門で行ってきたビデオに関する調査研究を統合し[54]、1970年2月2日付けで社内に「ビデオ・パッケージ特別委員会」(坪井与委員長)を設置した[6][18][55]。これが東映ビデオの実質的始まりである[5][6][54]。1970年6月10日、正式に東映ビデオ株式会社が発足した(社長・大川博[51][3][4]。発足時の社員は小林秀次、小黒俊雄ら十数人であった[38]岡田茂は、東映ビデオ設立直後の1970年7月の映画誌のインタビューで「ウチのビデオ部門は東映のそれまでの含み資産を頭に勘定しながら発足した。これから市場の拡大に伴って、いかに市場を握っていくかが勝負でしょう。ビデオは伸びますよ。面白い映画産業の一つです。テレビに次いで第三の成長映像産業部門が出現したということです。映画を封切って二年ほどしたらテレビに流す、テレビでなんぼか稼いで、何年か後にはビデオになる、これがビデオカセットになる。一つの材料で三つの部門に稼げる材料が出てきたことは事実です。結局、映画だけを主にしていてはダメになった。われわれが考えている以上に機械文明の方がどんどん進んでくるから、これにどう即応していくか考えなければいかんということです」などと話していた[56]。1989年の映画誌のインタビューでは「ウチは(ビデオ業界の)先発。昭和40年代後半、オープンリール時代から粘りに粘って頑張った」と話した[57]。東宝が最初にハードを開発中のソニーと提携したことから、東映は同じハードを開発中でレコードで既に提携していたビクターと提携するのではと見られていた[52]
1970年代

各電機メーカーはコンパクトで安い家庭用ビデオテープ・レコーダの開発を急いだが[58][59]、まだ製品は市販化されておらず、メーカーも一切宣伝していないのにも関わらず[50]、1970年春、新聞雑誌が近い将来の映像媒体として60年代はカラーTVの時代70年代はVTR時代、ポストカラーTVの本命などとビデオパッケージ(VP、映像ソフトの総称)を盛んに紹介し[47][58][59][60]、ビデオパッケージの認知度だけは50%にも昇った[50]電通が1970年に都内23区から500世帯をピックアップし調査を行い、電通発行の雑誌『マーケッティングと広告』1970年10月号に「ビデオパッケージの家庭への普及は5年先の1975年に全国世帯数13.3%ぐらいになるだろう」という調査結果を載せた[50]。このような1970年前後の状況を受け、1970年にポニー社長の石田達郎が基調演説として「10年後にビデオソフトは5000億円産業になる」と行く先々でぶち上げた[44][47][51][61][62][注釈 7]アメリカでさえ「10年先は10億ドル(当時のレートで約3,600億円)」としか言っていないのに[67]、この石田発言は根拠不明であった[67]


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