観客動員数は年々、上昇の一途をたどり[8]、『長靴をはいた猫』を中心とした1969年春休み興行は[8]、350万人を突破し、開館以来の新記録を全国91館で記録した[8]。これを受け、"ヤクザの東映からまんがの東映の印象を浸透させ始めたとも評された[8]。他社にも真似られ[8]、1969年夏休み興行は、東宝、ブエナビスタが参入し[8]、三つ巴の争いとなった[8]。ブエナビスタは『白雪姫』と『パブロとチキタ』を東映と同じ封切日にぶつけた[8]。
1980年代初期までは、メインとなる1本から3本程度の劇場版オリジナル作品に、テレビシリーズの放送済みエピソードのブローアップ版を数本加えた編成をとっており、『マグマ大使』『スペクトルマン(宇宙猿人ゴリ)』『キャプテン翼』など東映以外の製作会社の作品を入れることもあった[注釈 2]。こうしたテレビ作品の上映は、映像ソフトの存在しなかった1970年代以前には貴重な再視聴の機会となっており、ジャンルを多岐に広げることでより多くの児童層の集客を図っていた[3]。
しかし家庭用ビデオの普及によりテレビ作品の上映は需要が減ったことから、新作率の向上や、話題性のある作品が投入されるようになった[3]。1979年には『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版2本(『宇宙戦艦ヤマト(1977年公開版)』、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』)と1972年に放映された『海のトリトン』を前半の部分を編集した「海のトリトン 劇場版 前編」の計3本を上映したアニメファン向きの「宇宙戦艦ヤマト・フェスティバル」を開催している[23]。1980年と1981年の夏休みには初めてディズニー作品を公開した(『白雪姫』)。1982年と1983年は夏休みには単体のアニメ映画[注釈 3]を公開したため、夏興行が休止[注釈 4]、続く1984年には春興行も休止され、1年以上も「まんがまつり」が公開されないことがあった。 1990年(平成2年)に興行名を「東映アニメまつり」に改め[18]、実写作品を外し東映動画[注釈 5]制作によるテレビアニメの劇場新作のみの興行形態へ移行した[3]。さらに1991年(平成3年)7月からは「東映アニメフェア」となり[18]、2002年(平成14年)まで継続した。実写特撮作品は、「東映スーパーヒーローフェア」として1993年(平成5年) - 1995年(平成7年)に劇場公開された[3]。「東映アニメまつり」および「東映アニメフェア」については「東映アニメフェア」を、東映スーパーヒーローフェアについては「東映スーパーヒーローフェア」を参照
東映アニメフェア・東映スーパーヒーローフェア